星あかり

作者:泉鏡花 約7分で読めます

星あかりを縦書きで読む(Textfall)

もとより何故という理はないので、墓石の倒れたのを引摺寄せて、二ツばかり重ねて台にした。  その上に乗って、雨戸の引合せの上の方を、ガタガタ動かして見たが、開きそうにもない。雨戸の中は、相州西鎌倉乱橋の妙長寺という、法華宗の寺の、本堂に隣った八畳の、横に長い置床の附いた座敷で、向って左手に、葛籠、革鞄などを置いた際に、山科という医学生が、四六の借蚊帳を釣って寝て居るのである。  声を懸けて、戸を敲いて、開けておくれと言えば、何の造作はないのだけれども、止せ、と留めるのを肯かないで、墓原を夜中に徘徊するのは好心持のものだと、二ツ三ツ言争って出た、いまのさき、内で心張棒を構えたのは、自分を閉出したのだと思うから、我慢にも恃むまい。……  冷い石塔に手を載せたり、湿臭い塔婆を掴んだり、花筒の腐水に星の映るのを覗いたり、漫歩をして居たが、藪が近く、蚊が酷いから、座敷の蚊帳が懐しくなって、内へ入ろうと思ったので、戸を開けようとすると閉出されたことに気がついた。  それから墓石に乗って推して見たが、原より然うすれば開くであろうという望があったのではなく、唯居るよりもと、徒らに試みたばかりなのであった。  何にもならないで、ばたりと力なく墓石から下りて、腕を拱き、差俯向いて、じっとして立って居ると、しっきりなしに蚊が集る。毒虫が苦しいから、もっと樹立の少い、広々とした、うるさくない処をと、寺の境内に気がついたから、歩き出して、卵塔場の開戸から出て、本堂の前に行った。  然まで大きくもない寺で、和尚と婆さんと二人で住む。門まで僅か三四間、左手は祠の前を一坪ばかり花壇にして、松葉牡丹、鬼百合、夏菊など雑植の繁った中に、向日葵の花は高く蓮の葉の如く押被さって、何時の間にか星は隠れた。鼠色の空はどんよりとして、流るる雲も何にもない。なかなか気が晴々しないから、一層海端へ行って見ようと思って、さて、ぶらぶら。  門の左側に、井戸が一個。飲水ではないので、極めて塩ッ辛いが、底は浅い、屈んでざぶざぶ、さるぼうで汲み得らるる。石畳で穿下した合目には、このあたりに産する何とかいう蟹、甲良が黄色で、足の赤い、小さなのが数限なく群って動いて居る。毎朝この水で顔を洗う、一杯頭から浴びようとしたけれども、あんな蟹は、夜中に何をするか分らぬと思ってやめた。  門を出ると、右左、二畝ばかり慰みに植えた青田があ

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底本:「書物の王国11 分身」国書刊行会
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)