月夜と眼鏡
作者:小川未明 約6分で読めます
町も、野も、いたるところ、緑の葉に包まれているころでありました。 おだやかな、月のいい晩のことであります。静かな町のはずれにおばあさんは住んでいましたが、おばあさんは、ただ一人、窓の下にすわって、針仕事をしていました。 ランプの灯が、あたりを平和に照らしていました。おばあさんは、もういい年でありましたから、目がかすんで、針のめどによく糸が通らないので、ランプの灯に、いくたびも、すかしてながめたり、また、しわのよった指さきで、細い糸をよったりしていました。 月の光は、うす青く、この世界を照らしていました。なまあたたかな水の中に、木立も、家も、丘も、みんな浸されたようであります。おばあさんは、こうして仕事をしながら、自分の若い時分のことや、また、遠方の親戚のことや、離れて暮らしている孫娘のことなどを、空想していたのであります。 目ざまし時計の音が、カタ、コト、カタ、コトとたなの上で刻んでいる音がするばかりで、あたりはしんと静まっていました。ときどき町の人通りのたくさんな、にぎやかな巷の方から、なにか物売りの声や、また、汽車のゆく音のような、かすかなとどろきが聞こえてくるばかりであります。 おばあさんは、いま自分はどこにどうしているのすら、思い出せないように、ぼんやりとして、夢を見るような穏やかな気持ちですわっていました。 このとき、外の戸をコト、コトたたく音がしました。おばあさんは、だいぶ遠くなった耳を、その音のする方にかたむけました。いま時分、だれもたずねてくるはずがないからです。きっとこれは、風の音だろうと思いました。風は、こうして、あてもなく野原や、町を通るのであります。 すると、今度、すぐ窓の下に、小さな足音がしました。おばあさんは、いつもに似ず、それをききつけました。 「おばあさん、おばあさん。」と、だれか呼ぶのであります。 おばあさんは、最初は、自分の耳のせいでないかと思いました。そして、手を動かすのをやめていました。 「おばあさん、窓を開けてください。」と、また、だれかいいました。 おばあさんは、だれが、そういうのだろうと思って、立って、窓の戸を開けました。外は、青白い月の光が、あたりを昼間のように、明るく照らしているのであります。 窓の下には、脊のあまり高くない男が立って、上を向いていました。男は、黒い眼鏡をかけて、ひげがありました
底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社
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