父
作者:太宰治 約12分で読めます
イサク、父アブラハムに語りて、 父よ、と曰ふ。 彼、答へて、 子よ、われ此にあり、 といひければ、 ――創世記二十二ノ七
義のために、わが子を犠牲にするという事は、人類がはじまって、すぐその直後に起った。信仰の祖といわれているアブラハムが、その信仰の義のために、わが子を殺そうとした事は、旧約の創世記に録されていて有名である。 ヱホバ、アブラハムを試みんとて、 アブラハムよ、 と呼びたまふ。 アブラハム答へていふ、 われここにあり。 ヱホバ言ひたまひけるは、 汝の愛する独子、すなはちイサクを携へ行き、かしこの山の頂きに於て、イサクを燔祭として献ぐべし。 アブラハム、朝つとに起きて、その驢馬に鞍を置き、愛するひとりごイサクを乗せ、神のおのれに示したまへる山の麓にいたり、イサクを驢馬よりおろし、すなはち燔祭の柴薪をイサクに背負はせ、われはその手に火と刀を執りて、二人ともに山をのぼれり。 イサク、父アブラハムに語りて、 父よ、 と言ふ。 彼、こたへて、 子よ、われここにあり、 といひければ、 イサクすなはち父に言ふ、 火と柴薪は有り、されど、いけにへの小羊は何処にあるや。 アブラハム、言ひけるは、 子よ、神みづから、いけにへの小羊を備へたまはん。 斯くして二人ともに進みゆきて、遂に山のいただきに到れり。 アブラハム、壇を築き、柴薪をならべ、その子イサクを縛りて、之を壇の柴薪の上に置せたり。 すなはち、アブラハム、手を伸べ、刀を執りて、その子を殺さんとす。 時に、ヱホバの使者、天より彼を呼びて、 アブラハムよ、 アブラハムよ、 と言へり。 彼言ふ、 われ、ここにあり。 使者の言ひけるは、 汝の手を童子より放て、 何をも彼に為すべからず、 汝はそのひとりごをも、わがために惜まざれば、われいま汝が神を畏るるを知る。 云々というような事で、イサクはどうやら父に殺されずにすんだのであるが、しかし、アブラハムは、信仰の義者たる事を示さんとして躊躇せず、愛する一人息子を殺そうとしたのである。 洋の東西を問わず、また信仰の対象の何たるかを問わず、義の世界は、哀しいものである。 佐倉宗吾郎一代記という活動写真を見たのは、私の七つか八つの頃の事であったが、私はその活動写真のうちの、宗吾郎の幽霊が悪代
底本:「太宰治全集9」ちくま文庫、筑摩書房
入力:柴田卓治 校正:かとうかおり
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card245.html)