箕輪心中
作者:岡本綺堂 約1時間15分で読めます
一
お米と十吉とは南向きの縁に仲よく肩をならべて、なんにも言わずに碧い空をうっとりと見あげていた。 天明五年正月の門松ももう取られて、武家では具足びらき、町家では蔵びらきという十一日もきのうと過ぎた。おととしの浅間山の噴火以来、世の中が何となくさわがしくなって、江戸でも強いあらしが続く。諸国ではおそろしい飢饉の噂がある。この二、三年はまことに忌な年だったと言い暮らしているうち、暦はことしと改まって、元日から空っ風の吹く寒い日がつづいた。五日の夕方には少しばかりの雪が降った。 それから天気はすっかり持ち直して、世間は俄かに明るくなったように春めいて来た。十吉の庭も急に霜どけがして、竹垣の隅には白い梅がこぼれそうに咲き出した。 この話の舞台になっている天明のころの箕輪は、龍泉寺村の北につづいた寂しい村であった。そのむかしは御用木として日本堤に多く栽えられて、山谷がよいの若い男を忌がらせたという漆の木の香いがここにも微かに残って、そこらには漆のまばらな森があった。畑のほかには蓮池が多かった。 十吉の小さい家も北から西へかけて大きい蓮池に取り巻かれていた。 「いいお天気ね」と、お米はうららかな日に向かってまぶしそうな眼をしばだたきながら、思い出したように話しかけた。 「たいへん暖かくなったね。もうこんなに梅が咲いたんだもの、じきに初午が来る」 「よし原の初午は賑やかだってね」 「むむ、そんな話だ」 箕輪から京間で四百間の土手を南へのぼれば、江戸じゅうの人を吸い込む吉原の大門が口をあいている。東南の浮気な風が吹く夜には、廓の唄や鼓のしらべが手に取るようにここまで歓楽のひびきを送って、冬枯れのままに沈んでいるこの村の空気を浮き立たせることもあるが、ことし十八とはいうものの、小柄で内端で、肩揚げを取って去年元服したのが何だか不似合いのようにも見えるほどな、まだ子供らしい初心の十吉にとっては、それがなんの問題にもならなかった。 たとい昼間は鋤や鍬をかついでいても、夜は若い男の燃える血をおさえ切れないで、手拭を肩にそそり節の一つもうなって、眼のまえの廓をひと廻りして来なければどうしても寝つかれないという村の若い衆の群れから、十吉は遠く懸け離れて生きていた。ありゃあまだ子供だとひとからも見なされていた。十六の秋、母のお時といっしょに廓の仁和賀を見物に行ったとき
底本:「江戸情話集」光文社時代小説文庫、光文社
入力:tatsuki 校正:かとうかおり
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card477.html)