半七捕物帳 46 十五夜御用心

作者:岡本綺堂 約35分で読めます

半七捕物帳 46 十五夜御用心を縦書きで読む(Textfall)

一

私はかつて「虚無僧」という二幕の戯曲をかいて、歌舞伎座で上演されたことがある。その虚無僧の宗規や生活については、わたし自身も多少は調べたが、大体はそのむかし半七老人から話して聞かされたことが土台になっているのであった。  虚無僧の話をするついでに、半七老人は虚無僧と普通の僧とに絡んだ一場の探偵物語を聞かせてくれたことがある。老人は先ず本所押上村について説明した。 「この頃は押上町とか向島押上町とかいろいろに分かれたようですが、江戸時代はすべて押上村で、柳島と小梅のあいだに広がって、なかなか大きい村でした。押上の大雲寺といえば、江戸でも有名な浄土宗の寺で、猿若の中村勘三郎代々の墓があるせいか、ここには市村羽左衛門とか瀬川菊之丞とかいったような名優の墓がたくさんありました。その隣りの最教寺は日蓮宗で、ここの宝物には蒙古退治の曼荼羅があるというので有名でした。これからお話をするのは、そんな有名な寺ではなく、竜濤寺……名前はひどく勿体らしいのですが、いやもう荒れ果てた小さい古寺で、一時は無住になっていたというくらいですから、大抵お察しが付くでしょう。その古寺へ四、五年前から二人の出家がはいり込んで来て、住職は全達、納所は全真、この二人が先ず居すわることになりました。勿論、貧乏寺で碌々に檀家もないのですから、住職も納所もそこらを托鉢に出歩いたりして、どうにか寺を持っていたらしい。ところが、ここに一つの不思議な事件が出来したのです」

嘉永六年七月には徳川家慶が薨去したので、七月二十二日から五十日間の鳴物停止を命ぜられた。鳴物停止は歌舞音曲のたぐいを禁ずるに過ぎないのであるが、それに伴って多人数の集合すること、遊楽めいたこと等は、すべて遠慮するのが其の時代の習慣であったので、さし当り七月二十六夜の月待ちには高台や海岸に群集する者もなかった。翌月の十五夜も月見の宴などは一切遠慮で、江戸の町に芒を売る声もきこえなかった。 「いい月だなあ」  ひとり言を云いながら、路ばたに立って今夜の明月を仰いでいたのは、押上村の農家のせがれ元八であった。元八はことし二十一で、小博奕なども打つという噂のある道楽者だけに、今夜の月を自分の家でおとなしく眺めていることも出来ず、これから何処へ遊びに行こうかなどと考えながら、ほろよい機嫌でここらの田圃路をうろ付いていると、浅黄の手拭に顔

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底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
入力:tatsuki 校正:湯地光弘
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card958.html)