如是我聞

作者:太宰治 約38分で読めます

如是我聞を縦書きで読む(Textfall)

一

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ。敵の神をこそ撃つべきだ。でも、撃つには先ず、敵の神を発見しなければならぬ。ひとは、自分の真の神をよく隠す。  これは、仏人ヴァレリイの呟きらしいが、自分は、この十年間、腹が立っても、抑えに抑えていたことを、これから毎月、この雑誌(新潮)に、どんなに人からそのために、不愉快がられても、書いて行かなければならぬ、そのような、自分の意思によらぬ「時期」がいよいよ来たようなので、様々の縁故にもお許しをねがい、或いは義絶も思い設け、こんなことは大袈裟とか、或いは気障とか言われ、あの者たちに、顰蹙せられるのは承知の上で、つまり、自分の抗議を書いてみるつもりなのである。  私は、最初にヴァレリイの呟きを持ち出したが、それは、毒を以って毒を制するという気持もない訳ではないのだ。私のこれから撃つべき相手の者たちの大半は、たとえばパリイに二十年前に留学し、或いは母ひとり子ひとり、家計のために、いまはフランス文学大受け、孝行息子、かせぐ夫、それだけのことで、やたらと仏人の名前を書き連ねて以て、所謂「文化人」の花形と、ご当人は、まさか、そう思ってもいないだろうが、世の馬鹿者が、それを昔の戦陣訓の作者みたいに迎えているらしい気配に、「便乗」している者たちである。また、もう一つ、私のどうしても嫌いなのは、古いものを古いままに肯定している者たちである。新らしい秩序というものも、ある筈である。それが、整然と見えるまでには、多少の混乱があるかも知れない。しかし、それは、金魚鉢に金魚藻を投入したときの、多少の混濁の如きものではないかと思われる。  それでは、私は今月は何を言うべきであろうか。ダンテの地獄篇の初めに出てくる(名前はいま、たしかな事は忘れた)あのエルギリウスとか何とかいう老詩人の如く、余りに久しくもの言わざりしにより声しわがれ、急に、諸君の眠りを覚ます程の水際立った響きのことは書けないかも知れないが、次第に諸君の共感を得る筈だと確信して、こうして書いているのだ。そうでもなければ、この紙不足の時代に、わざわざ書くてもないだろう、ではないか。  一群の「老大家」というものがある。私は、その者たちの一人とも面接の機会を得たことがない。私は、その者たちの自信の強さにあきれている。彼らの、その確信は、どこから出てい

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底本:「もの思う葦」新潮文庫、新潮社
入力:田中陽介 校正:鈴木厚司
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card1084.html)