火のついた踵

作者:宮本百合子 約28分で読めます

火のついた踵を縦書きで読む(Textfall)

人  物   奥平振一郎  統計学者(三十歳)     みさ子  振一郎の妻(十八歳)   橋詰 英一  みさ子の従兄(二十四歳)   谷  三郎  英一、みさ子の友人(同)   吉沢 朝子(登場せず)みさ子の友達(十九歳)      女中 きよ

場  所   東京。

時   現代。或る五月。

第一 奥平の客間

上部の壁や天井は白く、下部を、暗緑色の壁紙で覆うた洋室。 正面は、浅く広いヌック。大きい三つの窓に、極く薄い肉桂色の窓帷が、黒い鮮やかな飾紐で片よせられ、簡素な形のマホガニーの円卓子、布張の椅子、たっぷり薔薇を盛った花壺等が置かれている。 上手の壁際には、大きな金縁の額。書棚。長椅子。重い暗色の垂帳で、隣室と境している。 下手は、一間半ばかり、透硝子のフォルディング・ドーアになっている。前後三尺ずつの壁間は、ヌックよりに彫像、繁った灌木の鉢。下手には、背の高いヴィクター、二人掛の腕椅子等。硝子の折畳扉から差す日が、如何にも晴々と、床に流れ、家具を照し、扉の金色の把手や、鉢植の新緑を爽やかに耀かせる。 幕開く。舞台は空虚。 光りや色彩の快感が、徐ろに漠然とした健康や活力の感を看る者に味わさせた頃、上手の垂帳から、みさ子が出て来る。(藤色のネルの着物、全体、さっぱりした服装)

みさ子 (部屋に入りながら、振返り)一寸こっちへ来て御覧にならないこと? 綺麗よ。今日は、私がすっかり大掃除をしたんですもの。 振一郎 (黙って入って来る。黒っぽいセルの着付。四辺を見廻し)ほう。綺麗だね。 みさ子 この部屋は、日がよく射すから、猶気持が好いわ。(ヌックの方へ行く)御覧なさいませ。一寸この薔薇! 素敵でしょう? 私こんなのが咲くとは思わなかったわ。 振一郎 (気がなさそうに)よく咲いたね。 みさ子 匂いをかいで御覧遊ばせよ。いいじゃあないの? ほら!(花壺を持ち、顔を埋めるようにして匂をすい、良人の鼻先に出す) 振一郎 うむ。いいね。花を持った枝は切る方が、来年のために好いんだよ。 みさ子 そうお。私が好きだから、どうせお部屋の花に切ることになってしまうわ。(ヌックの卓子の上に花壺を置き、そこの椅子に坐る)貴方もおかけにならないこと? 振一郎 (ぶらぶら行って、向い合わせに掛ける)英一さん達は幾時頃来るの? みさ子 わからないの。ただ、お昼

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底本:「宮本百合子全集 第二巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:松永正敏
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card2024.html)