余興

作者:森鴎外 約6分で読めます

余興を縦書きで読む(Textfall)

同郷人の懇親会があると云うので、久し振りに柳橋の亀清に往った。  暑い日の夕方である。門から玄関までの間に敷き詰めた御影石の上には、一面の打水がしてあって、門の内外には人力車がもうきっしり置き列べてある。車夫は白い肌衣一枚のもあれば、上半身全く裸裎にしているのもある。手拭で体を拭いて絞っているのを見れば、汗はざっと音を立てて地上に灑ぐ。自動車は門外の向側に停めてあって技手は襟をくつろげて扇をばたばた使っている。  玄関で二三人の客と落ち合った。白のジャケツやら湯帷子の上に絽の羽織やら、いずれも略服で、それが皆識らぬ顔である。下足札を受け取って上がって、麦藁帽子を預けて、紙札を貰った。女中に「お二階へ」と云われて、梯を登り掛かると、上から降りて来る女が「お暑うございますことね」と声を掛けた。見れば、柳橋で私の唯一人識っている年増芸者であった。  この女には鼠頭魚と云う諢名がある。昔は随分美しかった人らしいが、今は痩せて、顔が少し尖ったように見える。諢名はそれに因って附けられたものである。もう余程前から、この土地で屈指の姉えさん株になっている。  私には芸者に識合があろう筈がない。それにどうして鼠頭魚を知っているかと云うと、それには因縁がある。私の大学にいた頃から心安くした男で、今は某会社の頭取になっているのが、この女の檀那で、この女の妹までこの男の世話になって、高等女学校にはいっている。そこで年来その男と親くしている私を、鼠頭魚は親類のように思っているのである。  私は二階に上がって、隅の方にあった、主のない座布団を占領した。戸は悉く明け放ってある。国技館の電燈がまばゆいように半空に赫いている。  座敷を見渡すに、同郷人とは云いながら、見識った顔は少い。貴族的な風采の旧藩主の家令と、大男の畑少将とが目に附いた。その傍に藩主の立てた塾の舎監をしている、三枝と云う若い文学士がいた。私は三枝と顔を見合せたので会釈をした。  すると三枝が立って私の傍に来て、欄干に倚って墨田川を見卸しつつ、私に話し掛けた。 「随分暑いねえ。この川の二階を、こんなに明け放していて、この位なのだからね」 「そうさ。好く日和が続くことだと思うよ。僕なんぞは内にいるよりか、ここにこうしている方が、どんなに楽だか知れないが、それでも僕は人中が嫌だから、久しくこうしていたくはないね。どうだろう。今夜は遅

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底本:「阿部一族・舞姫」新潮文庫、新潮社
入力:j_sekikawa 校正:しず
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2079.html)