木魂

作者:夢野久作 約40分で読めます

木魂を縦書きで読む(Textfall)

……俺はどうしてコンナ処に立ち佇まっているのだろう……踏切線路の中央に突立って、自分の足下をボンヤリ見詰めているのだろう……汽車が来たら轢き殺されるかも知れないのに……。  そう気が付くと同時に彼は、今にも汽車に轢かれそうな不吉な予感を、背中一面にゾクゾクと感じた。霜で真白になっている軌条の左右をキョロキョロと見まわした。それから度の強い近眼鏡の視線を今一度自分の足下に落すと、霜混りの泥と、枯葉にまみれた兵隊靴で、半分腐りかかった踏切板をコツンコツンと蹴ってみた。それから汗じみた教員の制帽を冠り直して、古ぼけた詰襟の上衣の上から羊羹色の釣鐘マントを引っかけ直しながら、タッタ今通り抜けて来た枯木林の向うに透いて見える自分の家の亜鉛屋根を振り返った。  ……一体俺は、今の今まで何を考えていたのだろう……。  彼はこの頃、持病の不眠症が嵩じた結果、頭が非常に悪るくなっている事を自覚していた。殊に昨日は正午過ぎから寒さがグングン締まって来て、トテモ眠れそうにないと思われたので、飲めもしない酒を買って来て、ホンの五勺ばかり冷のまま飲んで眠ったせいか、今朝になってみると特別に頭がフラフラして、シクンシクンと痛むような重苦しさを脳髄の中心に感じているのであった。その頭を絞るように彼は、薄い眉をグット引寄せながら、爪先に粘り付いている赤い泥を凝視めた。  ……おかしいぞ。今朝は俺の頭がヨッポドどうかしているらしいぞ……。  ……俺は今朝、あの枯木林の中の亜鉛葺の一軒屋の中で、いつもの通りに自炊の後始末をして、野良犬が這入らないようにチャント戸締りをして、ここまで出かけて来たことは来たに相違ないのだが、しかし、それから今までの間じゅう、俺は何を考えていたのだろう。……何か知らトテモ重大な問題を一生懸命に考え詰めながら、ここまで来たような気もするが……おかしいな。今となってみるとその重大な問題の内容を一つも思い出せなくなっている……。  ……おかしい……おかしい……。何にしても今朝はアタマが変テコだ。こんな調子では又、午後の時間に居眠りをして、無邪気な生徒たちに笑われるかも知れないぞ……。  彼はそんな事を取越苦労しいしい上衣の内ポケットから大きな銀時計を出してみると、七時四十分キッカリになっていた。  彼はその8の処に固まり合っている二本の針と、チッチッチッチッと廻転している秒針と

続きを読む — 木魂|Textfall

底本:「夢野久作全集8」ちくま文庫、筑摩書房
入力:柴田卓治 校正:柳沢成雄
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2110.html)