あひると猿

作者:寺田寅彦 約9分で読めます

あひると猿を縦書きで読む(Textfall)

去年の夏信州沓掛駅に近い湯川の上流に沿うた谷あいの星野温泉に前後二回合わせて二週間ばかりを全く日常生活の煩いから免れて閑静に暮らしたのが、健康にも精神にも目に見えてよい効果があったように思われるので、ことしの夏も奮発して出かけて行った。  去年と同じ家のベランダに出て、軒にかぶさる厚朴の広葉を見上げ、屋前に広がる池の静かな水面を見おろしたときに、去年の夏の記憶がほんの二三日前のことであったようによみがえって来た。十か月以上の月日がその間に経過したとはどうしても思われなかった。信州における自分というものが、東京の自分のほかにもう一つあって、それがこの一年の間眠っていて、それが今ひょっくり目をさましたのだというような気がするのであった。  このように、すべてのものが去年とそっくりそのままのようであるが、しばらく見ているとまた少しずついろいろの相違が目について来るのであった。たとえば池のみぎわから水面におおいかぶさるように茂った見知らぬ木のあることは知っていたが、それに去年は見なかった珍しい十字形の白い花が咲いている。それが日比谷公園の一角に、英国より寄贈されたものだという説明の札をつけて植えてある「花水木」というのと少なくも花だけはよく似ているようである。しかし植物図鑑で捜してみるとこれは「やまぼうし」一名「やまぐわ」(Cornus Kousa, Buerg.)というものに相当するらしい。  とにかく、わずかな季節の差違で、去年はなかったものが、今突然目の前に出現したように思われるのであった。不注意なわれわれ素人には花のない見知らぬ樹木はだいたい針葉樹と扁葉樹との二色ぐらいか、せいぜいで十種二十種にしか区別ができないのに、花が咲いて見るとそこに何か新しい別物が生まれたかのように感じるものらしい。無理な類推ではあるが人間の個性も、やっぱり何かしらひと花咲かせてみないと充分にその存在がはっきりしない、あれと同じだというような気がするのである。  去年の七月にはあんなにたくさんに池のまわりに遊んでいた鶺鴒がことしの七月はさっぱり見えない。そのかわりに去年はたった一匹しかいなかったあひるがことしは十三羽に増殖している。鴨のような羽色をしたひとつがいのほかに、純白の雌が一羽、それからその「白」の孵化したひなが十羽である。ひなは七月に行った時はまだ黄色い綿で作ったおもちゃのような

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底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
入力:田辺浩昭 校正:かとうかおり
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2341.html)