一つの思考実験
作者:寺田寅彦 約21分で読めます
私は今の世の人間が自覚的あるいはむしろ多くは無自覚的に感ずるいろいろの不幸や不安の原因のかなり大きな部分が、「新聞」というものの存在と直接関係をもっているように思う。あるいは新聞の存在を余儀なくし、新聞の内容を供給している現代文化そのものがこれらの原因になっていると言ったほうが妥当かもしれないが、それはいずれにしても、私はあらゆる日刊新聞を全廃する事によって、この世の中がもう少し住みごこちのいいものになるだろうと思っている。 新聞を全廃したらさだめて不便な事であろうと一応は考えられる。その不便を感ずる種類や程度はもちろん人々の位地や職業によっていろいろであろうが、不便ということに異議はなさそうである。しかしそれらの不便がどれだけ根本的な性質のものでどれだけ我慢のしきれない種類のものかという事は、少しゆっくり考えてみなければよくわからないと思う。われわれの日常生活に必要欠くべからざるものと通例思われている器具調度の類でも、実はそれを全廃してしまって少しもさしつかえのないものはいくらでもある。たとえば、西洋ならばどんな簡易生活でも、こればかりは必要と思われている椅子やテーブルがなくても決してさしつかえない事は多数の日本人に明瞭である。また昔の日本の女になくてかなわなかった髪飾りや帯などは外国の女には無用の長物である。 新聞を必要とするように今のわれわれの生活を導いたものは新聞自身であるかもしれないとすると、新聞が必要がられるという事実だけでは決して新聞の本質的必要を証明する材料にはならない。 新聞の記事はその日その日の出来事をできるだけ迅速に報知する事をおもな目的としている。その当然の結果として肝心の正確という事が常に犠牲にされがちである事はだれもよく知るとおりである。しかしこの一事だけでも新聞というものが現代の人心に与える影響はなかなか軽少なものではない。ほかの事はすべてさしおいても、「おそくとも確実に」というあらゆる「真」の探究者に最も必要な心持ちをすべての人からだんだんに消散させようとするような傾向のあるのはいかんともしがたい。もっとも大概の人間には真に対する潔癖はあるから、そういう不正確な記事はたまたまその潔癖を刺激してかえってそれを亢進させるような効果がある場合があるかもそれはわからない。また大多数の人は始めから新聞記事の正確さの「程度」をのみこんでい
底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
入力:(株)モモ 校正:かとうかおり
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2448.html)