路傍の草

作者:寺田寅彦 約14分で読めます

路傍の草を縦書きで読む(Textfall)

一 車上

「三上」という言葉がある。枕上鞍上厠上合わせて三上の意だという。「いい考えを発酵させるに適した三つの環境」を対立させたものとも解釈される。なかなかうまい事を言ったものだと思う。しかしこれは昔のシナ人かよほど暇人でないと、現代では言葉どおりには適用し難い。  三上の三上たるゆえんを考えてみる。まずこの三つの境地はいずれも肉体的には不自由な拘束された余儀ない境地である事に気がつく。この三上に在る間はわれわれは他の仕事をしたくてもできない。しかしまた一方から見ると非常に自由な解放されたありがたい境地である。なんとならばこれらの場合にわれわれは外からいろいろの用事を持ちかけられる心配から免れている。肉体が束縛されているかわりに精神が解放されている。頭脳の働きが外方へ向くのを止められているので自然に内側へ向かって行くせいだと言われる。  現代の一般の人について考えてみるとこの三上には多少の変更を要する。まず「枕上」であるが、毎日の仕事に追われた上に、夜なべ仕事でくたびれて、やっと床につく多くの人には枕上は眠る事が第一義である。それで眠られないという場合は病気なのだからろくな考えは出ないのが普通である。 「厠上」のほうは人によると現在でも適用するかもしれない。自分の知っている人の内でも、たぶんそうらしいと思われるほどの長時間をこの境地に安住している人はある。しかし寝坊をして出勤時間に遅れないように急いで用を足す習慣のものには、これもまた瞑想に適した環境ではない。  残る一つの「鞍上」はちょっとわれわれに縁が遠い。これに代わるべき人力や自動車も少なくも東京市中ではあまり落ち着いた気分を養うには適しないようである。自用車のある場合はあるいはどうかもしれないが、それのない者にとっては残る一つの問題は電車の「車上」である。  電車の中では普通の意味での閑寂は味わわれない。しかしそのかわりに極度の混雑から来た捨てばちの落ち着きといったようなものがないでもない。乗客はみんな石ころであって自分もその中の一つの石ころになって周囲の石ころの束縛をあきらめているところにおのずから「三上」の境地と相通ずる点が生じて来る。従って満員電車の内は存外瞑想に適している。机の前や実験室では浮かばないようないいアイディアが電車の内でひょっくり浮き上がる場合をしばしば経験する。 「三上」の三

続きを読む — 路傍の草|Textfall

底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
入力:(株)モモ 校正:かとうかおり
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2454.html)