映画の世界像

作者:寺田寅彦 約11分で読めます

映画の世界像を縦書きで読む(Textfall)

映画のスクリーンの平面の上に写し出される光と影の世界は現実のわれらの世界とは非常にかけはなれた特異なものであって両者の間の肖似はむしろきわめてわずかなものである。それにもかかわらずわれわれは習慣によって養われた驚くべき想像力の活動によって、このわずかな肖似の点を土台にして、かなりまで実在の世界に近い映画の世界を築き上げる。そうして、いつのまにか映画と実際との二つの世界の間を遠く隔てる本質的な差違を忘れてしまっているのである。あらゆる映画の驚異はここに根ざしこの虚につけ込むものである。従って未来の映画のあらゆる可能性もまたこの根本的な差違の分析によって検討されるであろうと思う。  それにはまず物理的力学的な世界像を構成する要素が映画の上にいかなる形で代表されているかを考えてみるのが一つの仕事である。  映画の観客は必ずしも学問としての物理学を学んではいない。しかしすべての人間は、皆無意識に物理的力学的に世界像を把握する事を知っている。すなわちまず三次元の空間の幾何学に一次元の時間を加えた運動学的の世界を構成し、さらにこれに質量あるいは力の観念を付加した力学的の世界像を構成し、そうして日常の生活をこれによって規定していることは事実である。もしも、これがなかったら、われわれは食膳に向かって箸を取り上げることもできないであろうし、門の敷居をまたぐこともできないであろう。  空間の概略な計測には必ずしもメートル尺はいらない。人間の身体各部が最初の格好な物さしである。手の届かぬ距離の計測には両眼の距離が基線となって無意識の間に巧妙な測量術が行なわれる。時間の測定には必ずしも時計はいらない。短い時間には脈搏が尺度になり、もう少し長い時間の経過は腹の減り方や眠けの催しが知らせる。地下の坑道にいて日月星辰は見えなくてもこれでいくぶんの見当はわかるであろう。質量と力の計測にも必ずしも秤はいらない。われわれの筋肉の緊張感覚がそれに役立つ。  これらの原始的なしかし驚嘆すべき計量単位の巧妙な系統によって、われわれの祖先は遠い昔から立派な力学的世界像を構成していた。近ごろになってわれわれはそれを少しばかり整理しみがき上げて、そうしていかめしい学という名をつけたのである。  さて、これらの原始的な世界像構成要素が映画ではどういうふうに置き換えられて代表されているかを考えてみる。  まず「質量

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底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
入力:(株)モモ 校正:かとうかおり
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2465.html)