夏目漱石先生の追憶
作者:寺田寅彦 約15分で読めます
熊本第五高等学校在学中第二学年の学年試験の終わったころの事である。同県学生のうちで試験を「しくじったらしい」二三人のためにそれぞれの受け持ちの先生がたの私宅を歴訪していわゆる「点をもらう」ための運動委員が選ばれた時に、自分も幸か不幸かその一員にされてしまった。その時に夏目先生の英語をしくじったというのが自分の親類つづきの男で、それが家が貧しくて人から学資の支給を受けていたので、もしや落第するとそれきりその支給を断たれる恐れがあったのである。 初めて尋ねた先生の家は白川の河畔で、藤崎神社の近くの閑静な町であった。「点をもらいに」来る生徒には断然玄関払いを食わせる先生もあったが、夏目先生は平気で快く会ってくれた。そうして委細の泣き言の陳述を黙って聞いてくれたが、もちろん点をくれるともくれないとも言われるはずはなかった。とにかくこの重大な委員の使命を果たしたあとでの雑談の末に、自分は「俳句とはいったいどんなものですか」という世にも愚劣なる質問を持ち出した。それは、かねてから先生が俳人として有名なことを承知していたのと、そのころ自分で俳句に対する興味がだいぶ発酵しかけていたからである。その時に先生の答えたことの要領が今でもはっきりと印象に残っている。「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。」「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。」「花が散って雪のようだといったような常套な描写を月並みという。」「秋風や白木の弓につる張らんといったような句は佳い句である。」「いくらやっても俳句のできない性質の人があるし、始めからうまい人もある。」こんな話を聞かされて、急に自分も俳句がやってみたくなった。そうして、その夏休みに国へ帰ってから手当たり次第の材料をつかまえて二三十句ばかりを作った。夏休みが終わって九月に熊本へ着くなり何より先にそれを持って先生を訪問して見てもらった。その次に行った時に返してもらった句稿には、短評や類句を書き入れたり、添削したりして、その中の二三の句の頭に○や○○が付いていた。それからが病みつきでずいぶん熱心に句作をし、一週に二三度も先生の家へ通ったものである。そのころはもう白川畔の家は引き払って内坪井に移っていた。立田山麓の自分の下宿からはずいぶん遠かったのを、まるで恋人にでも会いに行くような心持ちで通ったも
底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」岩波文庫、岩波書店
入力:(株)モモ 校正:かとうかおり
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2472.html)