映画雑感(Ⅱ)
作者:寺田寅彦 約9分で読めます
制服の処女
評判の映画「制服の処女」を一見した。最初に、どこかの柱廊前に並んだ、ものはなんだかわからないが、何かしら勇ましくたくましい男性的彫像などが現われ、それから男性的なラッパの音に導かれて兵隊の行列が現われる。それだけがこの映画における男性の登場者のすべてである。この、対照のために插入されたかと思われる兵隊の行列が女学生の行列に切り換えられてからは、もうずっと最後まで男の役者は全く一人も現われない。これはたしかに珍しい映画であるに相違ない。娘たちはこの学校へいれられたが最後みんなおそろいの棒縞の制服を着せられて五か月たつまでは一回の外出も許されずに、厳重な舎監のいわゆるプロイセン的な規律のもとに教育を受けなければならないのである。プロイセン軍国的訓練のために生徒たちは「特におなかのすく日曜」をこわがらなければならないのである。 こういう環境におおぜいの若い娘たちを置いたら彼女たちはいかに反応するか。そこにいかなる現象が起こるであろうか。こういう問題を提出し、その解答を得るために一つのエキスペリメントを行なったのがすなわちこの映画であるかとも思われる。科学者がある物質を強い電場や磁場に置いてみたり、ある昆虫を真空や高圧の中にいれてみたりする。それと同じような意味での実験をした、その実験の結果の報告がこの映画であるというふうにも見られる。あるいは、もう少し厳密にいえば、かりにそういう実験をしたらこういう結果が起こるでもあろうかという、一種の思考実験の結果の発表であるともいわれるであろう。そういう見方からすれば、この映画は、女子教育家や女児の心理の研究者にとってはなはだ特殊な専門的興味のあるものであろう。 そういうものとしてこの映画がはたして成功したものであるかどうかを判断するのは、残念ながら自分などにはむずかしい、おそらくすべての男子にはむずかしいであろうと思われる。しかしまた同じ理由からしてこの映画はすべての男性にとって別な意味で特殊な興味のあるものに相違ないのである。 不自由な環境によって生み出された不自然な現象の一つとして一人の女生徒マヌエラと一人の女教師フロイライン・フォン・ベルンブルヒとの間の不思議な関係が生じ、それがこの映画の演劇的な部分のおもなる骨子となっている。この葛藤に伴なう多くの美しい感傷の場面の連続によって観客の感興をつな
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
入力:(株)モモ 校正:かとうかおり
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2481.html)