災難雑考

作者:寺田寅彦 約17分で読めます

災難雑考を縦書きで読む(Textfall)

大垣の女学校の生徒が修学旅行で箱根へ来て一泊した翌朝、出発の間ぎわに監督の先生が記念の写真をとるというので、おおぜいの生徒が渓流に架したつり橋の上に並んだ。すると、つり橋がぐらぐら揺れだしたのに驚いて生徒が騒ぎ立てたので、振動がますますはげしくなり、そのためにつり橋の鋼索が断たれて、橋は生徒を載せたまま渓流に墜落し、無残にもおおぜいの死傷者を出したという記事が新聞に出た。これに対する世評も区々で、監督の先生の不注意を責める人もあれば、そういう抵抗力の弱い橋を架けておいた土地の人を非難する人もあるようである。なるほどこういう事故が起こった以上は監督の先生にも土地の人にも全然責任がないとは言われないであろう。しかし、考えてみると、この先生と同じことをして無事に写真をとって帰って、生徒やその父兄たちに喜ばれた先生は何人あるかわからないし、この橋よりもっと弱い橋を架けて、そうしてその橋の堪えうる最大荷重についてなんの掲示もせずに通行人の自由に放任している町村をよく調べてみたら日本全国におよそどのくらいあるのか見当がつかない。それで今度のような事件はむしろあるいは落雷の災害などと比較されてもいいようなきわめて稀有な偶然のなすわざで、たまたまこの気まぐれな偶然のいたずらの犠牲になった生徒たちの不幸はもちろんであるが、その責任を負わされる先生も土地の人も誠に珍しい災難に会ったのだというふうに考えられないこともないわけである。  こういう災難に会った人を、第三者の立場から見て事後にとがめ立てするほどやさしいことはないが、それならばとがめる人がはたして自分でそういう種類の災難に会わないだけの用意が完全に周到にできているかというと、必ずしもそうではないのである。  早い話が、平生地震の研究に関係している人間の目から見ると、日本の国土全体が一つのつり橋の上にかかっているようなもので、しかも、そのつり橋の鋼索があすにも断たれるかもしれないというかなりな可能性を前に控えているような気がしないわけには行かない。来年にもあるいはあすにも、宝永四年または安政元年のような大規模な広区域地震が突発すれば、箱根のつり橋の墜落とは少しばかり桁数のちがった損害を国民国家全体が背負わされなければならないわけである。  つり橋の場合と地震の場合とはもちろん話がちがう。つり橋はおおぜいでのっからなければ落ちない

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底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、岩波書店
入力:(株)モモ 校正:多羅尾伴内
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2500.html)