文学における今日の日本的なるもの
作者:宮本百合子 約16分で読めます
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この間、『朝日新聞』であったか、『読売新聞』であったか、文芸欄に、座談会についてのモラルという文章があった。座談会の席上では勝手な熱をふいてかきまわしておきながら、記事になるときはすっかりそれを削ってしまうようなことがあったりしてはよろしくないという点を云っていた。座談会の常識としては、他にいくつかのことが考えられるであろうが、その一つとして、謂わば自分のうちの座敷へひとをよんでおいて、そこが自分のうちだというその場の気分的なものから妙に鼻ぱしをつよくして座談会の席上に嘲弄的、揶揄的口調を弄ぶようなことがあるとしたら、それも見っともないことの一つではないであろうか。 『文学界』(二月)の座談会は一種の印象を与えた。ある箇所で気分的に亢ぶったようなものがあると思うと、最後は、落語の下げのような文句が云われて問題は出発点へ逆もどりしたまま、おやかましゅう、とお開きになった形であった。語る人々の内的な混乱や堂々めぐりがそのままに示されている点で、様々の問題を与えていた。 昨今作家の生活、作品が現代一般人の生活から浮き離れ読者の関心を失って来ているということの文壇人自身による自覚と、それに対する対策とがこの座談会でも真先に語られている。林房雄氏は、真面目な文学者評論家は当今意識的に文壇を離れたがっている、と云い、岸田国士氏は文壇が重荷になっている、と明言しておられる。そして、文学が大衆性とか指導力とかを持つようになるためには、実業家・官吏・軍人等の真面目な要求と共通するものを文壇における中心問題として二年でも三年でも提唱しつづけるということが我々の義務であるという林氏の結論が出されている。 「小説の刃は衂られなければならない」と、芸術の光背を負うて陸離たるが如くあった室生犀星氏が、近頃の抱負として「家ではよき父であり夫であり、規律を守り一家一糸をも乱さず暮したい」「対人的には朋友を信じ博愛衆に及ぼし」近衛文麿、永井柳太郎等が文学を判ろうとしている誠意に感奮して、「実行の文学」を唱え、某方面の後援によって満州へ出かけられることに誇りを感じているらしい姿も、林氏の言葉につれて読者の心に思い浮んで来るのである。 文学または思想における日本的なものの追求が近頃これらの作家達によって熱心にされている。万葉、王朝時代の精神が今日の生活に求められている。それらのことについての感想は
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底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:米田進
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card2765.html)