今日の文学と文学賞
作者:宮本百合子 約7分で読めます
どこの国にでも、文化、文芸の業績に対する賞というものはあるらしい。その詮衡が世界的な規模で行われ、最もひろい意味で人類的な影響をもつ仕事に与えられるという点で、ノーベル賞が国際的な権威をみとめられていることは、誰でも知っている。近頃になってからのドイツでは、そのノーベル賞をドイツ人が受けることを禁じ、ドイツ民族文化、文芸の最高賞としてゲーテ賞を制定したことは、当時一般の人々に何となく理解しがたい印象を与えた事実であった。あたり前の考えで云えば、一民族の誇りというものは、世界的、人類的な規模で評価され得てこそ誇りというに価し、そのような業績を生む人物を一人でも多く生み出すことにこそ、民族としての歓びもあるものであろうと思われるからであった。 ところで、文化、文芸に関する賞を、一番どっさりもっている国はどこだろうか、フランスも尠くないように思われる。が、私は寡聞で有名なゴンクール賞のほか評論に対する賞、優秀な新聞記者としての仕事に与えられる賞等、三つ四つ記憶しているきりである。アメリカのジャーナリズム及び文学に関する賞として一九一七年から始められているピュリッツァ賞、ソヴェト同盟のゴーリキイ賞、レーニン賞等のほかには、どんなものがあるのだろうか。 文化、文芸賞の数の多いことでは、今日、日本が第一位にあるのではないかと思われる。今度出版される昭和十四年度の『雑誌年鑑』の見本の一隅に、文化、文芸賞要覧というのがあって、そこを見たら帝国学士院賞や文化勲章までを入れて凡そ二十二種の賞の名が並んでいた。数の上では文運隆盛の趣を示しているかのようである。 一体、日本の現代文学の分野で、これだけあまたの賞というものはいつ頃、どのような社会の事情、文学の機運によって生れて来たものであろうか。文学に関する賞についてだけ考えて見ると、これらの賞が、明治から大正年代にかけてはまだ殆どなかったという事実に思い当る。明治三十七八年以後大正十年位までの間は、日本の近代文学が、その創造力の旺盛をきわめた時期であった。今日私たちの目の前にある近代古典と云うべき作品の多くはこれらの時期に書かれたものであるし、古典的な権威として今日或る意味で価値ある文学上の存在をつづけている作家たち、例えば島崎藤村、徳田秋声、谷崎潤一郎、永井荷風、志賀直哉、武者小路実篤等は、いずれもこの年代に、壮年期の活動を示し
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:米田進
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card2808.html)