文学のひろがり そこにある科学と文学とのいきさつ
作者:宮本百合子 約7分で読めます
文学のひろがり そこにある科学と文学とのいきさつを縦書きで読む(Textfall)
岩波新書のなかに、米川正夫氏の翻訳でヴォドピヤーノフというひとの書いた「北極飛行」という本がある。 これは純粋な文学書ではなくて、ソ連の北極探検飛行の記録である。著者も作家ではない操縦士である。彼の指導によって北極の歴史的飛行が完成されたのち、「如何にして空想が現実となったか」という題の記録を『新世界』にのせた。それを米川氏が着目して、ルポルタージュとして上々のものという評価から紹介されたものである。 二百六十頁に満たないこの本は、実に面白い。読み終るのが惜しいと思いながらも一気に読めてしまう。そういう魅力の深い本だが、その内容がまた幾つもの文化上の課題を暗示するのである。 科学を専門とする人は、この本の中から必ずその方面の少くない示唆を受けることだろう。文学の面にふれてもやはり興味をうごかされる点が少くない。 機械的な仕事に没頭している操縦士が、この北極飛行のような滋味ゆたかな報告を書いたということが、先ず、私たちに何かの感想をおこさせるのである。訳者も云っておられるようにヴォドピヤーノフという人が、凡庸の才でないと云うのは確であろう。だが文化のこととして、こういう科学と文学との健全に綜合された才能の発育の可能がどこからこの貧農の子に与えられたのだろうかと考えると、そこには文化上やはり並々でない分化と綜合の動的関係の在る社会が思い描かれるのではないだろうか。 文化の各分野は、過去の数世紀間、分化によって進められて来た。それぞれの道で専門家というものが、素人に分らない努力と貢献とを重ねて、科学にしろ、文学にしろ、今日のところ迄来ている。それは疑いもない過去の宝であるけれど、例えば今日の日本に見られる文学と科学との関係のありかたなどを細かに観察すると、それがまだ文化の成育の最も望ましい開花であると迄は云切れないような段階にあるのではないだろうか。 「北極飛行」のなかで、この点にふれて最も興味のあるのは、ヴォドピヤーノフが、ナンセン、アムンゼン、ピーリ等が北極に於てとげた功績を詳細に研究して、極北に学術探検隊の営所を創設すること、飛行機の助けをかりて創設しようという、「単純で現実的でありながら幻想的で雄大な空想」を抱いているとき、シュミット博士から、北極探検隊の航空方面の予定を作るようにと云いわたされて、彼が書いた報告書の性質である。「北極飛行」の筆者は語っ
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底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:米田進
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card2818.html)