窪川稲子のこと
作者:宮本百合子 約5分で読めます
窪川稲子に私がはじめて会ったのは、多分私がもとの日本プロレタリア作家同盟にはいった一九三〇年の押しつまってからのことであったと思う。私はその頃本郷の下宿にいて、そこで会ったように思う。最初の印象は、今日もう思い出せなくなってしまっている。そのときも彼女らしく、どこといって変に目立つようなところを外見にもっていなかったのであったろう。 次の年の寒い時分、大阪に『戦旗』の講演会があって徳永直、武田麟太郎、黒島伝治、窪川稲子その他の人々が東京駅から夜汽車で立った。私は次の日出かけることになっていてステーションまで皆を送りに行ったら、丁度前の日保釈で出たばかりの小林多喜二が、インバネスも着ず大島絣の着物の肩をピンと張って、やっぱり見送りに来ていた。待合室の床の上にカタカタと高く下駄の音をたてて歩きながら小林は大きい声で秋田訛を響かせつつ何か話していた。 大阪と京都との講演会の間、稲子さんと私とは或る友人の家に泊った。大阪ではひどい雨に会って、天王寺の会場へゆく道々傘をもたない私共は濡れて歩いたのであったが、稲子さんは、宿をかしてくれた友達のマントを頭からかぶって、足袋にはねをあげまいと努力しながら、いそいで歩いた。私は洋服を着て、その不自由そうな様子を大変劬る心持であった。私が何かいうと「ありがとう、大丈夫です」と稲子さんは笑顔をした。夜おそくなって友達のところへかえると、稲子さんはああお乳が張った、御免なさいと、立てた膝の上に受けるものをおいてお乳をしぼった。今五つの健造がまだお乳をのんでいた。その子を置いて講演会に出て来ていたのである。私は並べて敷かれている自分の寝床の方から稲子さんのお乳をしぼっているところまで出かけてゆき、プロレタリア作家としての女の生活を様々の強い、新鮮な感情をもって考えながら、やっぱり一種心配気な顔つきで稲子さんのお乳をしぼる様子を謹んでわきから眺めた。まだその頃、稲子さんの過去の生活にどんな階級的な蓄積があるかということなどについて私は殆ど全く知らなかったから、ごく普通に考えて、私は自分が稲子さんより年上だし劬って上げなければならないという気がしていたのであった。そのことを考えると、私は今何だかいい意味でだが笑えて来る。稲子さんの方は、私がまるで新しい活動に入って来たのだからと、却ってそれとなくいろいろ気を配ってくれたのであったろう。その
底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:米田進
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card2870.html)