『静かなる愛』と『諸国の天女』 竹内てるよ氏と永瀬清子氏の詩集
作者:宮本百合子 約11分で読めます
『静かなる愛』と『諸国の天女』 竹内てるよ氏と永瀬清子氏の詩集を縦書きで読む(Textfall)
貧困というものは、云ってみれば今日世界にみちている。病気というものも、その貧困ときりはなせない悲しいつながりをもって今日の世界にみちている。今日の社会感情のなかでは、貧しさと病とに対して闘っている人々の余りの多さのために、おどろきが失われて普通のことがらの一つでもあるかのようになってさえいる。沁々考えてみると、そういう共通な不幸に感じを鈍くさせられて生きている生活の条件の荒っぽさ、冷血さはおそろしいと思う。更にもう一歩すすんで生活を観察すると、貧困といい病といい、それを受ける人の身が男であるか、女であるかということで、同じうち克つべき不幸ながらそこに深刻な相異がおこって来ているのも一つの現実ではないだろうか。 第一書房から竹内てるよさんの『静かなる愛』という詩集が出ている。 幼いときから苦しい境遇に育って、永い闘病生活のうちに詩をつくって来た女詩人であり、統一された境地を今の心にうちたてている詩人である。 同じ題で六月の『新女苑』に過去の生活が書かれている文章もよんで、生活の困苦というものの女のうけた、そこからの高まりかたの女としての特色などについてさまざまの感動をこめて考えさせられた。 この女詩人は生みの母を知らず祖父母に養育された。父は家によりつかない男であった。祖父母に生活能力がなくて、みじめな貧しさのなかで孫が働き、辛うじて糊口をつないだ。世間には男の児だとそういう境遇のめぐり合わせにおかれるものも決して一人や二人ではないだろうと思う。 若い肉体に重すぎる生活の荷にひしがれて病気を発することも、その病気のために働きを休めば一家は饑餓にさらされることから遂に倒れてのち已む決心で働きとおす哀切な強い精神を持つ少年青年たちも、今日ただいま決して一人二人ではないであろう。 だが、竹内てるよさんのように、借金のかたに借金主の息子の妻にさせられるというようなことは、男の子の受けない悲しみと苦しみではないだろうか。そして、子の母となりながら、妻の永い病に精根つき果てたような良人へ気をかねて、その愛子をのこして家を去る決心にまで追いこまれなければならなかったということも、男の一生にはない女のあわれさであると思う。 ロマン・ローランは、人間の社会にのこされる最後の不公平は、健康と病とであると云っているけれども、女はその最後の不幸の中にもう一つ女であるということ
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底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:松永正敏
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card2897.html)