翻訳の価値 「ゴロヴリョフ家の人々」にふれて
作者:宮本百合子 約5分で読めます
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日本の知識人の読書表には、実に翻訳がどっさり入りこんでいると思う。文学書にしても、日本ぐらい月々幾冊もの訳書が出版されているところは余り無かろうと思う。アメリカなどは、どっちかと云えば翻訳書が比較的どっさり出る方だろう。新しくて若いアメリカの文化はヨーロッパの文化の富から吸収するべきものを少からずもっているわけだし、ああいう社会生活の習俗では、イギリスの読書人たちのようにフランス語やドイツ語の知識を不可欠に考えてもいないだろうから、特にフランス文学の翻訳などは相当広汎によまれることが想像される。 ソヴェトもきっと随分どっさりの翻訳書を出版しているだろうと思う。文化の各部門に亙って代表的な古典だの全集だのが翻訳されて、夥しい部数で一般の日常生活の中へもたらされている。ここでは、文盲退治で字がよめるようになった人たちがいきなり最高の古典にふれて行ってトルストイの小説をよむと同時にゾラをもよむという独特旺盛な興味ふかい文化摂取の道を辿っている。 日本に翻訳書が沢山出るということの背景には、やはり日本の特殊な地理的条件につれて社会の特徴が見られるのだと思う。東海の封じられた小島としての条件のなかで、我々の祖先の秀抜な人々が、真理を求め、知識をさがして生命の危険さえ冒しながら粒々刻苦して、偶然渡来した医書や物理書の解読や翻訳に献身した努力と雄々しさとは、前野良沢や杉田玄白が日本で最初の解剖書となったターヘルアナトミアの翻訳に賭した心血の高貴さに語られている。日本の暁として翻訳の仕事は寧ろ悲壮な姿で開始されているのである。
一二年このかた、出版にもインフレ景気ということが云われるようになった。文学書の翻訳も溢れているが、果してそのうちの幾割が、文学的な再現の成功までは言わず、少くとも信頼に足りる仕事なのだろうか。 訳しにくいところはどしどしとばしてしまう。そんな話も屡々きく。文学作品のいのちは、訳しにくいような表現のなかに案外ふくまれているとも云えるのだから、もしそうだとすれば、私たちは読者として、云わば一番その作者らしくその作品らしい精髄はぬきすてたあとの、至極常識的な語感でもわかる部分だけ買わされ、よまされているということになるのである。 ブルージェの「死」、「家」が流行したらしいけれども、あの訳について、日本の文章としてだけよんでも、何か腑に落ちないものがあ
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底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:松永正敏
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card2902.html)