今日の文学の諸相
作者:宮本百合子 約14分で読めます
一
年の瀬という表現を十二月という歳末の感情に結びつけて感じると、今年は年の瀬を越すなどというものではなく、年の瀬が恐ろしくひろい幅とひどい勢いでどうどうと生活もろとも轟き流れている気がする。一年の終りの月というしめくくりの気分なんかどこにもない。いろいろな事象がそれ自身の収拾つかない課題の生々しい断面をむき出しながら、益々幅と量とをましながら奔流しつつ十二月が来ている。 日々の生活感情がそのようだし、十二月号の雑誌をいくつか見ると、従来なら吉例的にたとえ外面からのことは承知でも何か一年の総括めいた空気を盛っていたものが、今年の十二月号には、あらゆる面で、ものごとの渾沌としたはじまりの動きばかりが強く反映していることも実に意味ふかく思われる。 去年の暮、文学の分野に関しては、ともかく或る概括が諸家によってされていた。その前年からルポルタージュとか生産文学とか農民文学とか激しく動揺していた現代文学の雰囲気も、十四年に入ってからはそれぞれの歩みのなかでおのずから一応の落付きを示しはじめたと云うべきであろうというのが共通の見かたであったと記憶している。 ところがこの十二月は、夏から始まった挙国的な動きが社会の全面を震蕩させている最中で、文学についてかりに云うとすれば、それは猛烈に動いているとしか云えまいと思う。動くということは常に必ずしも前進だけを意味するのではない。そういう常識にも立ってみれば、本質上は後退だってもさまざまに動きを示している姿はあり得る。そんな動きをもこめて、とにかく動いているのである。 二十五年前の第一欧州戦争を、日本の一般社会は間接に小局限でしか経験しなかったから、今日の文学が経る波瀾は、極めて日本的な諸条件のうちで、しかも世界史的に高度で、経験が重大であるというばかりでなく、謂わばその重大さが初めてであるということから来る歴史的な独特の日本としての混乱もあるのである。 『新潮』十二月号には数人の作家たちが問いに答えて「転換期における作家の覚悟」という文章を書いている。それぞれにその作家の今日の心持が語られているわけなのだが、作家としての特徴を生かすことを語っている徳永直氏の文章が具体的で、わかりよかった。 ほかのあれこれも読んでいるうちに、今日作家が書くこの種の文章に、一つの特色の現れていることに注意をひかれた。
底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:松永正敏
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card2904.html)