歌声よ、おこれ 新日本文学会の由来
作者:宮本百合子 約9分で読めます
歌声よ、おこれ 新日本文学会の由来を縦書きで読む(Textfall)
今日、日本は全面的な再出発の時機に到達している。軍事的だった日本から文化の国日本へということもいわれ、日本の民主主義は、明治以来、はじめて私たちの日常生活の中に浸透すべき性質のものとしてたち現れてきた。 民主という言葉はあらゆる面に響いており、「新しい」、という字を戴いた雑誌その他の出版物は、紙の払底や印刷工程の困難をかきわけつつ、雑踏してその発刊をいそいでいる。 しかし、奇妙なことに、そういう一面の活況にもかかわらず、真の日本文化の高揚力というものが、若々しいよろこびに満ちた潮鳴りとして、私たちの実感の上に湧きたち、押しよせてこないようなところがある。これも偽りない事実ではないだろうか。 この感じは、新しく日本がおかれた世界の道にたいする懐疑から生じているものでないことは明かである。われわれ人民が、理不尽な暴力で導きこまれた肉体と精神との殺戮が、旧支配力の敗退によって終りを告げ、ようやく自分たち人間としての意識をとりもどし、やっとわが声でものをいうことができる世の中になったことをよろこばない者がどこにあろう。日本は敗戦という一つの歴史の門をくぐって、よりひろく新しい世界人類への道を踏み出したのである。 そういうことは、すべての人によくわかっている。そして、一人一人、もうすでに、外的な事情に押されながらにしろ、そういう方向に爪先をむけて進んでいる。しかも、歩きだしつつあるそれらの瞳のうちに、なにか自身を把握しきっていない一種の光りが見られるのは、なぜだろうか。 社会全般のこととしていえば、この数ヵ月間の推移によって、過去数十年、あるいは数百年、習慣的な不動なものと思われてきた多くの世俗の権威が、崩壊の音たかく、地に墜ちつつある。その大規模な歴史の廃墟のかたわらに、人民の旗を翻し、さわやかに金槌をひびかせ、全民衆の建設が進行しつつあるとはいいきれない状態にある。なぜなら、旧体制の残る力は、これを最後の機会として、これまで民衆の精神にほどこしていた目隠しの布が落ちきらぬうち、せいぜい開かれた民衆の視線がまだ事象の一部分しか瞥見していないうち、なんとかして自身の足場を他にうつし、あるいは片目だけ開いた人間の大群衆を、処置に便宜な荒野の方へ導こうと、意識して社会的判断の混乱をくわだてているのであるから。 自由という名は耳と心に快くひびくが、食糧事情の現実は、わ
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底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:米田進
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card2956.html)