「どう考えるか」に就て

作者:宮本百合子 約7分で読めます

「どう考えるか」に就てを縦書きで読む(Textfall)

最近、一つの示唆に富んだ経験をした。この頃は、いろいろなところで新しい雑誌の発行や本の出版計画がある。或る書房が、文化・文学雑誌の創刊をすることとなって、原稿をたのまれた。時間がなくて、すぐその希望には応じかねた。けれども、一部の作家が全く窒息させられていた何年かの間、少くともその書房は、将来の展望を失わず、文化の本質に対して持するところある態度を保って来ていた。ただ断ってしまうのは、何か気のすまないところがあったので、考えた末、もしや、そこならば、落着いてそういう種類のものの持つ、文化的な意味も理解されるかと思って、私がこれ迄十二年の間に、獄中の宮本へ送った手紙を、少し系統だてて年代順に載せてみたらばどうかしらと提案した。編輯に当っている人は、興味をもち、せき立って、最初の二通をもって行った。それは一九三四年十二月下旬に、市ヶ谷刑務所あてに書かれた手紙であった。  すると、二三日経って、同じ人が訪ねて来た。大変恐縮の様子で、自分は面白いと思って持って行ったが、編輯顧問をしている人々皆で読んでみたらば、「思想性」がないから、自分の方の雑誌には不適当だという強硬な意見がつよくて、失礼であるが御返しする。尤も考えてみれば刑務所への手紙は幾重もの検閲を経るのであるから、はっきりしたことの書けるわけはなかったのに、思慮が足りなくて陳弁された。  原稿は、いずれ又のこととして事務上の片は簡単についた。しかし、わたしの心の内には沢山の疑問がのこされた。  そもそも「思想性」というものは、どういうものを指して呼ばれる名なのであろうか、と。  終戦後、世界に類のなかった日本の文化弾圧は一応終熄されて、俄に総てのことを云い、又書きしてよいことになった。雑誌の編輯者や出版者たちは、競って進歩的であり、民主的であらねばならないことになった。過去十数年に亙った政府の精神圧殺方針に対して堅い内部抵抗の力を保っていて、今日、将に、その重石がとれ、生新溌剌な圧力の高い迸りを見せている部分も、明らかに存在している。だがこの節の一般文化面を見わたしたとき、私たちの率直な感想は、どうだろうか。抑圧されていた日本文化の急進性はこんなにも豊富であったのか、と一夜に開いた花園の絢爛さに瞠目するよりは、むしろ、反対の印象があるように思える。例えば、余り体力の強壮でない中学の中級生たちが、急に広場に出されて、

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底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:米田進
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card2958.html)