明日の知性
作者:宮本百合子 約10分で読めます
一
第二次ヨーロッパ大戦は、私たち現世紀の人間にさまざまの深刻な教訓をあたえた。そのもっとも根本的な点は国際間の複雑な利害矛盾の調整は、封建的で、また資本主義的な強圧であるナチズムやファシズムでは、できなかったという事実である。もっと進歩した、もっと合理的な方法でなくては――ただ殺戮、侵略、武力では、国際間の問題は解決しないということを血をもって学んだ。 このたびの大戦の結果は、二十五年以前の第一次世界大戦のときよりも、いっそうまざまざと人間理性の勝利の意味、民主的社会の価値を教えたのだが、それにつれて、世界の女性のうごきも、独特の飛躍発展を示してきている。日本はこの十数年間、鎖国の状態で、世界事情は知られなかった。そのために、スペインの民主戦線に有名なパッショナリーアと呼ばれた婦人がいたことも知らなければ、大戦中フランスの大学を卒業した知識階級の婦人たちの団体が、どんなにフランスの自由と解放のためにナチス政権の下で勇敢な地下運動を国際的に展開したかということも知らなかった。耳も掩われ、眼もかくされ、日本の女性は戦争の犠牲とされた。 去年の春ごろ、内山敏氏が、ある雑誌にトーマス・マンの長女のエリカ・マンが、弟のクラウス・マンと共著した「生への逃亡」について、エリカ・マンの活動を紹介しておられた。この短い伝記は、感銘のふかいものであった。知識階級の若い聰明な女性が、そのすこやかな肉体のあらゆる精力と、精神の活力の全幅をかたむけて、兇暴なナチズムに対して人間の理性の明るさをまもり、民主精神をまもったはたらきぶりは、私たち日本の知識階級の女性に、自分たちの生の可能について考えさせる多くのものをもっているとおもう。 トーマス・マンというドイツの民主的精神をもつ作家の名は、日本にもよく知られている。「ブッテン・ブーローク」や「魔の山」「ロッテかえりぬ」などは翻訳でひろくよまれている。マンには六人の子供たちがある。長女エリカ・マン。そのつぎのクラウス・マン。この人は反ナチ作家で、ヒトラーが政権を確立させてからはオランダで、『ザンムルング』という反ナチの文学雑誌を発行していた。ロシアの作曲家チャイコフスキーを題材とした「悲愴交響曲」という作品がある。二男は歴史家であるゴロ・マン。次女モニカはハンガリーの美術史家の妻。三男ミハエルはヴァイオリニスト。末
底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:米田進
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card2972.html)