文学について

作者:宮本百合子 約12分で読めます

文学についてを縦書きで読む(Textfall)

去る六月二十八日、本部において二三の政治局員と文化部関係者および新日本文学会のグループの合同会議がもたれ、来る七月三・四日に行われる党員芸術家会議に対する準備的な討論が行われたことを知りました。  その席上、わたしについて書記長からの発言があり、その内容についてききました。  当日、そのような会議のあることについて、わたしは全く知りませんでした。また、そこでわたしについての発言が行われるということもしりませんでした。したがって当然私自身は意見に代えるものを提出もしていませんでした。七月三・四日の会議も目下のわたしの健康事情では出席不可能です。ついては、本人が出席していないところで、責任ある人によって公的に発言されたことが事実をあやまっていることは迷惑ですから、この機会に簡単にわたしの事実を明白にいたします。

本部の会議の席上いわれた書記長の発言を要約すると大体左の諸点のようです。

一 宮本百合子の作品は大衆によまれていない。書記長は三行以上よめない。階級性がなくて多面性がない。観念的である。 二 宮本百合子は、ごうまんで天狗になっている。現代の紫式部と自任し、うぬぼれ、自己陶酔して、こたつにあたったような暮しをしている。 三 立候補しない。だから党的に成長しない。 四 宮本百合子を評価することは他の党員作家に対して有害である。

以上の項目の若干についてある程度の訂正もされたようですが、とりあえず全体としてかんたんに事実をあきらかにいたします。

一 私の作品が大衆にどの程度よまれているかいないかということは、出版統計や職場の図書部や文学サークル、図書館その他に調査の大体が示しています。去る三月九日のアカハタにもしるしたとおりであり、これらについては反覆する必要はないでしょう。   文学運動について多少とも冷静に客観的事実を重んじる人は、それが従来の民主的プロレタリア文学の読者層をより広く開拓したことは率直にみとめています。そのことはそれに満足するということでないのはもちろんですが。自身が三行以上読んだことのない小説についてどうしてその内容につき、階級的価値について断言することができるでしょうか。   わたしの文学作品の階級性については、一九三一年ソヴェトから帰ってプロレタリア作家同盟に参加してから今日までの全作品と全評論とを冷静に検討すれば、基本的解答は

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底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:米田進
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card3005.html)