現代文学の広場 創作方法のこと・そのほか

作者:宮本百合子 約16分で読めます

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去年おしつまってから肉体派小説、中間小説の作者と一部の作家・批評家との間に、ちょっとしたやりとりがあって注目をひいた。  その討論に、三好十郎も出場して「小豚派作家論」という題をもつ彼一流の毒舌的な評論をかいた。肉体派、中間小説派の作者たちとその作品のそまつな戦後的商品性を、へど的にむき出してその安価さを排撃した。けれども、「小豚派作家論」と題してきり出された勇ましいその評論も、すえは何となししんみりして、最後のくだり一転は筆者がひとしおいとしく思っている心境小説の作家尾崎一雄を、ひいきしている故にたしなめるという前おきできめつける、歌舞伎ごのみの思い入れにおわった。ジャーナリズムの上に一年間も八方に向って文学的へどをはきつづけることのできた強壮な三好十郎が、どうして「小豚派作家論」の終りは、そのように我からしんみりとなって、とどのつまりは尾崎一雄におもてを向け、結局君なんかがもうすこし、しっかりしないからいけないのだ、と半ばたしなめ、半ばあきらめて歎息することになったのであったろう。  三好十郎は、いわゆる肉体派作家、中間小説を主張する作家の多くの人々の人生態度と作品の安易な商品性を明らかに軽蔑する。けれどもその軽蔑にもかかわらず、他の一面では、彼の名づける小豚派文学の、発生の社会的起源について、否定しきれないものをもっている。はげしい前線の生活も経験して来た壮年の一部の作家たちが、戦後日本の錯雑した現実に面して、過去の私小説的なリアリズムの限界の内にとどまっているにたえないのは必然である。日本の社会現実を全面的にすくい上げようとして彼ら一部の作家たちは新しい投げ網をこころみている。少くとも、その必然と大胆さは認めてやらなければならない、と。過去の私小説やそのリアリズムにあきたりない思いは、三好十郎自身のうちに烈しく存在している。その共感にひかされて、三好十郎の毒舌も、しまいはブツブツ、現在の肉体派や中間小説が、現代文学の新しい局面を展くためには、無益であるばかりか有害でさえあるという事実を批判しきれなかった。  その討論の時期に、伊藤整も東京新聞の文芸欄で発言した。肉体小説、中間文学に対する彼のもの言いは、非常に機智的であった。否定するかとみれば、一部の肯定もあり、さりながら単純な肯定一本で貫かれているという見解でもなかった。伊藤整を、そのように複雑なもの云い

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底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:米田進
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card3017.html)