片信

作者:有島武郎 約15分で読めます

片信を縦書きで読む(Textfall)

A兄  近来出遇わなかったひどい寒さもやわらぎはじめたので、兄の蟄伏期も長いことなく終わるだろう。しかし今年の冬はたんと健康を痛めないで結構だった。兄のような健康には、春の来るのがどのくらい祝福であるかをお察しする。  僕の生活の長い蟄眠期もようやく終わりを告げようとしているかに見える。十年も昔僕らがまだ札幌にいたころ、打ち明け話に兄にいっておいたことを、このごろになってやっと実行しようというのだ。自分ながら持って生まれた怯懦と牛のような鈍重さとにあきれずにはいられない。けれども考えてみると、僕がここまで辿り着くのには、やはりこれだけの長い年月を費やす必要があったのだ。今から考えると、ようこそ中途半端で柄にもない飛び上がり方をしないで済んだと思う。あのころには僕にはどこかに無理があった。あのころといわずつい昨今まで僕には自分で自分を鞭つような不自然さがあった。しかし今はもうそんなものだけはなくなった。僕の心は水が低いところに流れて行くような自然さをもって僕のしようとするところを肯んじている。全く僕は蟄虫が春光に遇っておもむろに眼を開くような悦ばしい気持ちでいることができる。僕は今不眠症にも犯されていず、特別に神経質にもなっていない。これだけは自分に満足ができる。  ただし蟄眠期を終わった僕がどれだけ新しい生活に対してゆくことができるか、あるいはある予期をもって進められる生活が、その予期を思ったとおりに成就してくれるか、それらの点に行くとさらに見当がつかない。これらについても十分の研究なり覚悟なりをしておくのが、事の順序であり、必要であるかもしれないけれども、僕は実にそういう段になると合理的になりえない男だ。未来は未来の手の中にあるとしておこう。来たるべきものをして来たるべきものを処置させよう。  結局僕の今度の生活の展開なり退縮なりは、全く僕一個に係った問題で、これが周囲に対していいことになるか、悪いことになるかはよくわからない。だけれども僕の人生哲学としては、僕は僕自身を至当に処理していくほかに、周囲に対しての本当に親切なやり方というものを見いだすことができない。僕自身を離れたところに何事かを成就しうると考える軽業のような仕事はできない。僕の従来の経験から割り出されたこの人生哲学がどこまで立証されるかは、僕の経験をさらに続行することによってのみ立証されることで、

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底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店
入力:鈴木厚司
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card208.html)