身投げ救助業

作者:菊池寛 約10分で読めます

身投げ救助業を縦書きで読む(Textfall)

ものの本によると、京都にも昔から自殺者はかなり多かった。  都はいつの時代でも田舎よりも生存競争が烈しい。生活に堪えきれぬ不幸が襲ってくると、思いきって死ぬ者が多かった。洛中洛外に激しい飢饉などがあって、親兄弟に離れ、可愛い妻子を失うた者は世をはかなんで自殺した。除目にもれた腹立ちまぎれや、義理に迫っての死や、恋のかなわぬ絶望からの死、数えてみれば際限がない。まして徳川時代には相対死などいうて、一時に二人ずつ死ぬことさえあった。  自殺をするに最も簡便な方法は、まず身を投げることであるらしい。これは統計学者の自殺者表などを見ないでも、少し自殺ということを真面目に考えた者には気のつくことである。ところが京都にはよい身投げ場所がなかった。むろん鴨川では死ねない。深いところでも三尺ぐらいしかない。だからおしゅん伝兵衛は鳥辺山で死んでいる。たいていは縊れて死ぬ。汽車に轢かれるなどということもむろんなかった。  しかしどうしても身を投げたい者は、清水の舞台から身を投げた。「清水の舞台から飛んだ気で」という文句があるのだから、この事実に誤りはない。しかし、下の谷間の岩に当って砕けている死体を見たり、またその噂をきくと、模倣好きな人間も二の足を踏む。どうしても水死をしたいものは、お半長右衛門のように桂川まで辿って行くか、逢坂山を越え琵琶湖へ出るか、嵯峨の広沢の池へ行くよりほかに仕方がなかった。しかし死ぬ前のしばらくを、十分に享楽しようという心中者などには、この長い道程もあまり苦にはならなかっただろうが、一時も早く世の中を逃れたい人たちには、二里も三里も歩く余裕はなかった。それでたいていは首を括った。聖護院の森だとか、糺の森などには、椎の実を拾う子供が、宙にぶらさがっている死体を見て、驚くことが多かった。  それでも、京の人間はたくさん自殺をしてきた。すべての自由を奪われたものにも、自殺の自由だけは残されている。牢屋にいる人間でも自殺だけはできる。両手両足を縛られていても、極度の克己をもって息をしないことによって、自殺だけはできる。  ともかく、京都によき身投げ場所のなかったことは事実である。しかし人々はこの不便を忍んで自殺をしてきたのである。適当な身投げ場所のないために、自殺者の比例が江戸や大阪などに比べて小であったとは思われない。  明治になって、槇村京都府知事が疏水工事を起

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底本:「菊池寛 短編と戯曲」文芸春秋
入力:真先芳秋 校正:菅野朋子
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/card489.html)