半七捕物帳 13 弁天娘
作者:岡本綺堂 約32分で読めます
一
安政と年号のあらたまった年の三月十八日であった。半七はこれから午飯を食って、浅草の三社祭りを見物に出かけようかと思っているところへ、三十五六の男がたずねて来た。かれは神田の明神下の山城屋という質屋の番頭で、利兵衛という白鼠であることを半七はかねて知っていた。 「なんだかお天気がはっきりしないので困ります。折角の三社様もきのうの宵宮はとうとう降られてしまいました。きょうもどうでございましょうか」と、利兵衛は云った。 「全くいけませんでしたね。降っても構わずにやるというから、わたしもこれからちょいと行って見ようかと思っているんですがね。少し雲切れがしているから、午過ぎからは明るくなるかと思いますが、なにしろ花時ですから不安心ですよ」 半分あけてある窓の間から、半七はうす明るくなった空をながめると、利兵衛は少しもじもじしていた。 「では、これから浅草へお出かけになるのでございますか」 「お祭りがことしはなかなか賑やかに出来たそうですからね。それに一軒呼ばれている家がありますから、まあちょいと顔出しをしなくっても悪かろうと思って……」と、半七は笑っていた。 「はあ、左様でございますか」 利兵衛はやはりもじもじしながら煙草をのんでいた。それがなにやら仔細ありそうにも見えたので、半七の方から切り出した。 「番頭さん。なにか御用ですかえ」 「はい」と、利兵衛はやはり躊躇していた。「実は少々おねがい申したいことがあって出ましたのでございますが、お出さきのお邪魔をいたしては悪うございますから、夜分か明朝また出直して伺うことに致しましょうかと存じます」 「なに、構いませんよ。もともとお祭り見物で、一刻半刻をあらそう用じゃあないんですから、なんだか知らないが伺おうじゃありませんか。おまえさんも忙がしいからだで幾たびも出て来るのは迷惑でしょうから、遠慮なく話してください」 「お差し支えございますまいか」 「ちっとも構いません。いったいどんな御用です。なにか御商売上のことですか」と、半七は催促するように訊いた。 いつの時代でも、質物渡世は種々の犯罪事件とのがれぬ関係をもっているので、半七は今この番頭の仔細ありげな顔色を見て、それが何かの事件に絡んでいるのではないかと直覚した。しかし利兵衛はまだ躊躇しているようで、すぐには口を切らなかった。 「番頭さん。ひどくむずかしいお話らしゅ
底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
入力:tatsuki 校正:菅野朋子
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card961.html)