半七捕物帳 03 勘平の死
作者:岡本綺堂 約27分で読めます
半七捕物帳 03 勘平の死を縦書きで読む(Textfall)
一
歴史小説の老大家T先生を赤坂のお宅に訪問して、江戸のむかしのお話をいろいろ伺ったので、わたしは又かの半七老人にも逢いたくなった。T先生のお宅を出たのは午後三時頃で、赤坂の大通りでは仕事師が家々のまえに門松を立てていた。砂糖屋の店さきには七、八人の男や女が、狭そうに押し合っていた。年末大売出しの紙ビラや立看板や、紅い提灯やむらさきの旗や、濁った楽隊の音や、甲走った蓄音機のひびきや、それらの色彩と音楽とが一つに溶け合って、師走の都の巷にあわただしい気分を作っていた。 「もう数え日だ」 こう思うと、わたしのような閑人が方々のお邪魔をして歩いているのは、あまり心ない仕業であることを考えなければならなかった。私も、もうまっすぐに自分の家へ帰ろうと思い直した。そうして、電車の停留場の方へぶらぶら歩いてゆくと、往来なかでちょうど半七老人に出逢った。 「どうなすった。この頃しばらく見えませんでしたね」 老人はいつも元気よく笑っていた。 「実はこれから伺おうかと思ったんですが、歳の暮にお邪魔をしても悪いと思って……」 「なあに、わたくしはどうせ隠居の身分です。盆も暮も正月もあるもんですか。あなたの方さえ御用がなけりゃあ、ちょっと寄っていらっしゃい」 渡りに舟というのは全くこの事であった。わたしは遠慮なしにそのあとについて行くと、老人は先に立って格子をあけた。 「老婢。お客様だよ」 私はいつもの六畳に通された。それから又いつもの通りに佳いお茶が出る。旨い菓子が出る。忙がしい師走の社会と遠く懸け放れている老人と若い者とは、時計のない国に住んでいるように、日の暮れる頃までのんびりした心持で語りつづけた。 「ちょうど今頃でしたね。京橋の和泉屋で素人芝居のあったのは……」と、老人は思い出したように云った。 「なんです。しろうと芝居がどうしたんです」 「その時に一と騒動持ち上がりましてね。その時には私も少し頭を痛めましたよ。あれは確か安政午年の十二月、歳の暮にしては暖い晩でした。和泉屋というのは大きな鉄物屋で、店は具足町にありました。家中が芝居気ちがいでしてね、とうとう大変な騒ぎをおっ始めてしまったんです。え、その話をしろと云うんですか。じゃあ、又いつもの手柄話を始めますから、まあ聴いてください」 安政五年の暮は案外にあたたかい日が四、五日つづいた。半七は朝飯を済ませて、それか
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底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
入力:tatsuki 校正:湯地光弘
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card983.html)