半七捕物帳 20 向島の寮
作者:岡本綺堂 約21分で読めます
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一
慶応二年の夏は不順の陽気で、綿ぬきという四月にも綿衣をかさねてふるえている始末であったが、六月になってもとかく冷え勝ちで、五月雨の降り残りが此の月にまでこぼれ出して、煙のような細雨が毎日しとしとと降りつづいた。うすら寒い日も毎日つづいた。半七もすこし風邪をひいたようで、重い顳顬をおさえながら長火鉢のまえに欝陶しそうに坐っていると、町内の生薬屋の亭主の平兵衛がたずねて来た。 「お早うございます。毎日うっとうしいことでございます」 「どうも困りましたね。時候が不順で、どこにも病人が多いようですから、お店も忙がしいでしょう」と、半七は云った。 「わたくしどもの商売繁昌は結構と申してよいか判りません」と、平兵衛は腰から煙草入れを抜き取って、ひと膝ゆすり出た。「実は少し親分さんにお知恵を拝借したいことがございまして、その御相談に出たのでございますが……。いえ、わたくしの事ではございませんが、家で使って居りますお徳という下女のことで……」 「はあ、どんなことだか、まあ、伺って見ようじゃありませんか」 「御承知でもございましょうが、あのお徳という女は生麦の在の生まれでございまして、十七の年からわたくしの家へ奉公にまいりまして、足かけ五年無事に勤めて居ります。至って正直なので、家でも目をかけて使って居ります」 「あの女中のことは私も聞いていますが……」と、半七はうなずいた。「家でもどうかしてああいう良い奉公人を置き当てたいものだと云って、うちの嬶なんぞもふだんから羨ましがっている位ですよ。そのお徳がどうかしましたかえ」 「本人には別に何事もないのでございますが、その妹のことに就きまして……。まあ、こうでございます。お徳にはお通という妹がございまして、これも今年十七になりましたので、この正月から奉公に出ました。桂庵は外神田の相模屋という家でございます。江戸へ出ますと、まずわたくしのところの姉を頼って来まして、その相模屋へは姉が連れて行ったのでございました。しますと、その相模屋の申しますには、丁度ここにいい奉公口がある。江戸者ではいけない、なんでも親許は江戸から五里七里は離れている者でなければいけない。年が若くて、寡言で正直なものに限る。それから一つは一年の出代りで無暗に動くものでは困る。どうしても三年以上は長年するという約束をしてくれなければ困る。その代りに夏冬の仕
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底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
入力:tatsuki 校正:菅野朋子
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card999.html)