河明り
作者:岡本かの子 約1時間25分で読めます
私が、いま書き続けている物語の中の主要人物の娘の性格に、何か物足りないものがあるので、これはいっそのこと環境を移して、雰囲気でも変えたらと思いつくと、大川の満ち干の潮がひたひたと窓近く感じられる河沿いの家を、私の心は頻りに望んで来るのであった。自分から快適の予想をして行くような場所なら、却ってそこで惰けて仕舞いそうな危険は充分ある。しかし、私はこの望みに従うより仕方がなかった。 人間に交っていると、うつらうつらまだ立ち初めもせぬ野山の霞を想い、山河に引き添っているとき、激しくありとしもない人が想われる。 この妙な私の性分に従えば、心の一隅の危険な望みを許すことによって、自然の観照の中からひょっとしたら、物語の中の物足らぬ娘の性格を見出す新な情熱が生れて来るかも知れない――その河沿いの家で――私は今、山河に添うと云ったが、私は殊にもこの頃は水を憶っているのであった。私は差しあたりどうしても水のほとりに行き度いのであった。 東京の東寄りを流れる水流の両国橋辺りから上を隅田川と云い、それから下を大川と云っている。この水流に架かる十筋の橋々を縫うように渡り検めて、私は流の上下の河岸を万遍なく探してみた。料亭など借りるのは出来過ぎているし、寮は人を介して頼み込むのが大仰だし、その他に頃合いの家を探すのであるが、とかく女の身は不自由である。私は、今度は大川から引き水の堀割りを探してみた。 白木屋横手から、まず永代橋詰まで行くつもりで、その道筋の二つ目の橋を渡る手前にさしかかると、左の河並に横町がある。私有道路らしく道幅を狭めて貨物を横たえているが、陸側は住居附きの蔵構えの問屋店が並び、河岸側は荷揚げ小屋の間にしんかんとした洋館が、まばらに挟っている。初冬に入って間もないあたたかい日で、照るともなく照る底明るい光線のためかも知れない、この一劃だけ都会の麻痺が除かれていて、しかもその冴え方は生々しくはなかった。私はその横道へ入って行った。 河岸側の洋館はたいがい事務所の看板が懸けてあった。その中の一つの琺瑯質の壁に蔦の蔓が張り付いている三階建の、多少住み古した跡はあるが、間に合せ建ではないそのポーチに小さく貸間ありと紙札が貼ってあった。ポーチから奥へ抜けている少し勾配のある通路の突き当りに水も覗いていた。私はよくも見つけ当てたというよりは、何だか当然のような気がした。望
底本:「昭和文学全集 第5巻」小学館
入力:阿部良子 校正:松永正敏
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000076/card1284.html)