島原心中
作者:菊池寛 約24分で読めます
自分は、その頃、新聞小説の筋を考えていた。それは、一人の貧乏華族が、ある成金の怨みを買って、いろいろな手段で、物質的に圧迫される。華族は、その圧迫を切り抜けようとして踠く。が、踠いたため、かえって成金の作っておいた罠に陥って、法律上の罪人になるという筋だった。 自分は、その華族が、切羽詰って法律上の罪を犯すというところを、なるべく本当らしく、実際ありそうな場合にしたかった。通俗小説などに、ありふれたような場合を避けたかった。自分は、そのために法律の専門家に、相談してみようと考えた。 自分は、頭の中で、旧友の中で法学士になっている連中を数えてみた。高等学校時代の知合いで、法学士になっている連中は、幾人もいることはいたが、郵船会社にはいって洋行したり、政治科を出て農商務省へ奉職したり、三菱へはいっている連中などばかりが思い浮んで、自分の相談に乗ってくれそうな、法律専門の法学士はなかなか思い当らなかった。その中に、ふと綾部という自分の中学時代の友人が、去年京都の地方裁判所をよして、東京へ来て、有楽町の××法律事務所に勤務していることを思い出した。上京当時、通知のハガキをくれたのだが、その××という有名な弁護士の名前が、不思議にはっきりと、自分の頭に残っていたのである。 自分は、綾部が、三高にいたときに会って以来、六、七年ぶりに、彼を訪ねた。彼は、学生時代と見違えるほど、色が白くなっていた。そして、三、四年の間検事をやっていた名残りが、澄んだ、そのくせ活気のない、冷たい目のうちに残っていた。彼は、快く自分を迎えて、自分の小説の筋に適合するような犯罪を考えてくれた。刑法の条文などをあちらこちら参考にしながら、かなり工夫を凝らしてくれたのである。その上に、彼はこんなことをいった。 「いや、貴君が、小説家として、法律の点に注意をしているのは感心です。どうも、今の小説家の小説を読むと、我々専門家がみると、かなりおかしいところがたくさんあるのです。懲役の刑しかないところが禁錮になっていたり、三年以上の懲役の罪が二年の懲役になっていたり、ずいぶん変なところがあるのです。それに、小説家のかく材料が、小説家の生活範囲を一歩も出ていないということは、かなり不満です。我々の注文をいえば、もっと、法律を背景とした事件、すなわち民事、刑事に関する面白い事件を、材料として大いに取り扱ってもら
底本:「菊池寛 短編と戯曲」文藝春秋
入力:真先芳秋 校正:小林繁雄
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/card1339.html)