顔

作者:宮本百合子 約18分で読めます

顔を縦書きで読む(Textfall)

ルイザは、天気にも、教父にも、または夫のハンスに対しても、ちっとも苦情を云うべきことのないのは知っていた。  自分達位の身分の者で、村の誰があんな行届いた洗礼式を、息子に受けさせてやったろう。四月の第二日曜のその朝、天気は申し分のない麗らかさであった。暖い溶けるような日の色といい、爽やかな浮立つような微風といい。彼女は、ハンスと婚礼した時からの思い通り、由緒ある伊太利亜レースの肩掛にフランツを包んで、教会に行った。  ハンスは気張って、きまりの献金のほかに、打紐で飾った二本の大蝋燭と見事な花束とを聖壇に捧げた。  教父は至極懇ろであった。  丁寧にフランツの頭に聖水を灌ぎ「主の忠実なる僕、ハンス・ゲオルグ・ヨーストの一家に恵深き幸運を授け給え」と、祈祷書にない文句さえ、足して称えてくれたのではあるけれども、ルイザは、教会からの帰り、見晴しのよいだらだら坂を、滅入った心持で下りた。彼女には、仕立屋のカールが、不意とフランツをあやすのをやめた、そのやめかたが気になっていた。郵便局の細君が、フランツのくるまっているレースをことさらに褒めた。その褒めかたがルイザの心持を曇らせたのであった。  彼等が、小ざっぱりとした安息日の盛装で教会の広場に現われると、真先に見つけて近づいて来たのは仕立屋のカールであった。  彼は、のしのしと大股に近づいて来た。そして腕を振り廻してハンスと握手した。 「どうだね」  彼は、酒肥りのした厚い瞼の間から、じろりとルイザの抱いているものの方を見た。 「男かね、女かね」  ハンスは、口のまわりに微かにばつの悪そうな表情を浮べながら低く答えた。 「男の子だ。――親父の名を貰ってやったさ」 「ほう! 男とはうまいことをやりおった。せっせと金箱を重くしても、娘っ子に攫われちゃあ始らないからな」  仕立屋のカールは、ルイザの方へやって来た。ルイザは初めての児を褒められた嬉しさに、自分の方から膝をかがめて挨拶した。 「どれどれ、一寸のぞかせて下さい。儂でもこれで三人孫をあやして呼吸は知っているよ」  ルイザは、フランツの額の上からレースをどけて顔全体がよく見えるようにした。  カールは、大儀そうに腰をかがめ、キ、キ、キ、と舌を巻きあげながら、年寄らしい愛嬌をふり撒いた。 「ふむ、なかなかよい児だ。男になれよ」  が、彼はふと訝しそうに眼をルイザの顔に移した

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底本:「宮本百合子全集 第二巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:渥美浩子
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card1951.html)