同志小林の業績の評価によせて 四月の二三の作品

作者:宮本百合子 約9分で読めます

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一

プロレタリア文化・文学運動の指導者、卓抜な国際的ボルシェヴィク作家同志小林多喜二の虐殺は、社会の広汎な分野に亙って少なからぬ震撼を与えた。  三月の諸文芸時評は同志小林の小説「地区の人々」の批評とともに何らかの形で、同志小林が殺されたことについての哀惜を表明していた。同志小林についての追想というようなものも一つならず様々の筆者によって発表された。けれどもそれ等を注意して読んで見ると、それらの文章において、同志小林の不屈な闘争によって一貫された業績の評価において、前衛としての英雄的殉難そのものの理解において諸家の意見が一致していないばかりか、遺憾ながら明らかに反動的な効果を生じるような意見も少くないのである。

宮島新三郎氏は『報知新聞』の文芸時評で、同志小林のために哀悼し、彼の「急死」が「文壇全体の損失である」ことを認めつつ「何が小林氏の死を早めたか」と云い「私はこの点を十分作家同盟員に考えて貰いたいと思う」と述べている。宮島氏の口吻をもってすれば、同志小林を殺したものは、さながら作家同盟の方針であるかのようである。  また、板垣鷹穂氏は、「遺憾に思うことはあれ程の作家を左翼運動に動員したと云うことです。芸術家には単に芸術の範囲内だけで活動させるというわけには行かないものでしょうか」と云っている。薫という筆名によって『都新聞』の文芸欄に「一生懸命のあまり、優秀な創作技術家としての成長をギセイにすることなど顧みる遑もなく(中略)イノチを縮めたのであろう」と書いている人もある。

これ等の意見は皆、同志小林のプロレタリア作家としての価値を認めようとしながらも、プロレタリア作家の発展における階級的必然性というものを全く理解していないところから、遂に基本的な点において救いがたく誤りに陥っているのである。  宮島、板垣氏等は、自身の属す階級の小市民的制約性に見解を狭められ、プロレタリア文学というものは階級闘争に立ち向うプロレタリアートの精鋭な武器とならねばならぬものであること、またプロレタリアートがその発展の歴史から見てもこの世に社会主義社会を招来し得る唯一の階級であるから、プロレタリア作家こそ社会主義建設のためにはその全活動を集中するものであるという動かすべからざる必然性を会得していない。

同志小林多喜二が、宮島氏等をして痛惜せしめる程傑

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底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
入力:柴田卓治 校正:米田進
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card2842.html)