生爪を剥ぐ

作者:葉山嘉樹 約7分で読めます

生爪を剥ぐを縦書きで読む(Textfall)

夏の夜の、払暁に間もない三時頃であった。星は空一杯で輝いていた。  寝苦しい、麹室のようなムンムンする、プロレタリアの群居街でも、すっかりシーンと眠っていた。  その時刻には、誰だって眠っていなければならない筈であった。若し、そんな時分に眠っていない者があるなら、それは決して健康な者ではない。又、健康なものでも、健康を失うに違いない。  だが、その(時刻)は眠る時刻であったが、(時代)は健康を失っていた。  プロレタリアの群居街からは、ユラユラとプロレタリアの蒸焼きの煙のような、見えないほてりが、トタン屋根の上に漂うていた。  そのプロレタリア街の、製材所の切屑見たいなバラックの一固まりの向うに、運河があった。その運河の汚ない濁った溜水にその向うの大きな工場の灯が、美しく映っていた。  工場では、モーターや、ベルトや、コムベーヤーや、歯車や、旋盤や、等々が、近代的な合奏をしていた。労働者が、緊張した態度で部署に縛りつけられていた。  吉田はその工場に対してのある策戦で、蒸暑い夜を転々として考え悩んでいた。  蚊帳の中には四つになる彼の長男が、腐った飯粒見たいに体中から汗を出して、時計の針のようにグルグル廻って、眠っていた。かますの乾物のように、痩せて固まった彼の母は、寝苦しいものと見えて、時々溜息をついていた。 (一体どうするのが、俺には一番いいのだろう)  彼は、暑さにジタバタする子供の寝顔を、薄暗い陰気な電燈の光に眺めた。 (一番いいのは、俺が首を吊ってしまうことだ!)(だが此年寄のおふくろは? 三人目の子供を産むために、下の児を連れて県病院の施療病室にいる女房は? 此二人の可愛いい男の子と、それから今度生れる赤ん坊とは? それはどうなるんだ? どうして生きて行くんだ? オイ!)  吉田は大きな溜息をついた。両方の手で拳を固く拵えて、彼の部厚な胸を殴った。 (だが、何とも為方はないさ。俺がよしんば死なないにした処で、――今度の事――で監獄に打ち込まれるとしたらどうだ! 死んだのと同じことになるじゃないか。いっそのこと……) 「おまい、寝られないのかい? 又早く出かけなけゃならないのにねえ」  おふくろは弱い声で云った。「お母さんも眠れないんですか。わしは今までグッスリ眠ったんですよ。腹の具合は少しはいいですか?」 (腹の具合が良かろう筈がねえじゃないか、医者に

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底本:「日本プロレタリア文学全集・8 葉山嘉樹集」新日本出版社
入力:林幸雄 校正:伊藤時也
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000031/card2846.html)