祝盃
作者:菊池寛 約5分で読めます
久野の家を出た三人は、三丁目から切通しの方へ、ブラ/\歩いていた。五六年前、彼等が、一高にいたときは、この通を、もっと活溌な歩調でいくたび散歩したか分らなかった。 その時は、啓吉も久野も、今度久しぶりで、ヒョックリ上京して来た青木も、銘々それ/″\に意気軒昂たるものであった。その中でも、青木が一番自信を持っていた。その天才的な態度や行動のために、みんなからも一番輝く未来を持つように思われていた。 啓吉や久野も、いつの間にか、青木には一目も二目も置いていた。が、運命は皆の期待した通りには、めぐらなかった。みんなから、一番嘱望されていた青木は、大学に入ったその年に、彼自身の不行跡から、学校にいられなくなり、啓吉や久野にも随分不義理な事をして、日の目を見ないような山陰の田舎に埋もれてしまった。田舎で英語の私塾を開いているといったような噂を、啓吉は誰からともなく聞いていた。その青木が何の前触もなく突然上京して、啓吉を訪ねて来たのである。 青木が、みんなの期待を裏切って、埋もれてしまったのと反対に、啓吉も久野も文壇的には自分達の予想以上の世の中に出ていた。 「文学に志したのだから、せめて翻訳でもして、文名を成したい。」 そんな謙虚な事を考えていた啓吉は今では、思いがけなくも新進作家として、相当な位置を占めている。久野などは啓吉よりも、更に一年も早く文壇に出てしまっている。 久野も啓吉も黙って歩いていた。五六年前には、何の相違もなかった三人の間に、今では社会的には、ハッキリとした区劃が付いている。 久野敏雄といえば、文学好きの青年は、大抵名前だけは知っている。が、青木好男といっても、誰が知っているだろう。五六年前は、同窓の間では、敬意と、かすかではあるが、驚異とを以て、呼ばれたその名前が、今では何人も知らない平凡な普通人の名前になってしまっている。 「僕ね。今度台湾の方へ行くようになったのだよ。総督府に調査部というのがあってね。そこへ行くことになったんだ。」 三人の沈黙を破るように、青木は昔ながらの、美しい沈んだ声でいった。 「そうか。それは結構だね。」と、久野も啓吉も同時にいった。が、二人ともそれについて、何の意味もなかった。思索家として、優れた芽を持っていそうに見えた青木が、調査部とか何とかいう雑務に従事するということが、久野や啓吉の心を暗くした。 三人は
底本:「菊池寛文學全集 第三巻」文藝春秋新社
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