湖南の扇
作者:芥川龍之介 約15分で読めます
広東に生れた孫逸仙等を除けば、目ぼしい支那の革命家は、――黄興、蔡鍔、宋教仁等はいずれも湖南に生れている。これは勿論曾国藩や張之洞の感化にもよったのであろう。しかしその感化を説明する為にはやはり湖南の民自身の負けぬ気の強いことも考えなければならぬ。僕は湖南へ旅行した時、偶然ちょっと小説じみた下の小事件に遭遇した。この小事件もことによると、情熱に富んだ湖南の民の面目を示すことになるのかも知れない。…………
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大正十年五月十六日の午後四時頃、僕の乗っていた沅江丸は長沙の桟橋へ横着けになった。 僕はその何分か前に甲板の欄干へ凭りかかったまま、だんだん左舷へ迫って来る湖南の府城を眺めていた。高い曇天の山の前に白壁や瓦屋根を積み上げた長沙は予想以上に見すぼらしかった。殊に狭苦しい埠頭のあたりは新しい赤煉瓦の西洋家屋や葉柳なども見えるだけに殆ど飯田河岸と変らなかった。僕は当時長江に沿うた大抵の都会に幻滅していたから、長沙にも勿論豚の外に見るもののないことを覚悟していた。しかしこう言う見すぼらしさはやはり僕には失望に近い感情を与えたのに違いなかった。 沅江丸は運命に従うようにじりじり桟橋へ近づいて行った。同時に又蒼い湘江の水もじりじり幅を縮めて行った。すると薄汚い支那人が一人、提籃か何かをぶら下げたなり、突然僕の目の下からひらりと桟橋へ飛び移った。それは実際人間よりも、蝗に近い早業だった。が、あっと思ううちに今度は天秤棒を横たえたのが見事に又水を跳り越えた。続いて二人、五人、八人、――見る見る僕の目の下はのべつに桟橋へ飛び移る無数の支那人に埋まってしまった。と思うと船はいつの間にかもう赤煉瓦の西洋家屋や葉柳などの並んだ前にどっしりと横着けに聳えていた。 僕はやっと欄干を離れ、同じ「社」のBさんを物色し出した。長沙に六年もいるBさんはきょうも特に沅江丸へ出迎いに来てくれる筈になっていた。が、Bさんらしい姿は容易に僕には見つからなかった。のみならず舷梯を上下するのは老若の支那人ばかりだった。彼等は互に押し合いへし合い、口々に何か騒いでいた。殊に一人の老紳士などは舷梯を下りざまにふり返りながら、後にいる苦力を擲ったりしていた。それは長江を遡って来た僕には決して珍しい見ものではなかった。けれども亦格別見慣れたことを長江に感謝したい見ものでもなかった。
底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館
入力:j.utiyama 校正:柳沢成雄
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card87.html)