仙人
作者:芥川龍之介 約5分で読めます
皆さん。 私は今大阪にいます、ですから大阪の話をしましょう。 昔、大阪の町へ奉公に来た男がありました。名は何と云ったかわかりません。ただ飯炊奉公に来た男ですから、権助とだけ伝わっています。 権助は口入れ屋の暖簾をくぐると、煙管を啣えていた番頭に、こう口の世話を頼みました。 「番頭さん。私は仙人になりたいのだから、そう云う所へ住みこませて下さい。」 番頭は呆気にとられたように、しばらくは口も利かずにいました。 「番頭さん。聞えませんか? 私は仙人になりたいのだから、そう云う所へ住みこませて下さい。」 「まことに御気の毒様ですが、――」 番頭はやっといつもの通り、煙草をすぱすぱ吸い始めました。 「手前の店ではまだ一度も、仙人なぞの口入れは引き受けた事はありませんから、どうかほかへ御出でなすって下さい。」 すると権助は不服そうに、千草の股引の膝をすすめながら、こんな理窟を云い出しました。 「それはちと話が違うでしょう。御前さんの店の暖簾には、何と書いてあると御思いなさる? 万口入れ所と書いてあるじゃありませんか? 万と云うからは何事でも、口入れをするのがほんとうです。それともお前さんの店では暖簾の上に、嘘を書いて置いたつもりなのですか?」 なるほどこう云われて見ると、権助が怒るのももっともです。 「いえ、暖簾に嘘がある次第ではありません。何でも仙人になれるような奉公口を探せとおっしゃるのなら、明日また御出で下さい。今日中に心当りを尋ねて置いて見ますから。」 番頭はとにかく一時逃れに、権助の頼みを引き受けてやりました。が、どこへ奉公させたら、仙人になる修業が出来るか、もとよりそんな事なぞはわかるはずがありません。ですから一まず権助を返すと、早速番頭は近所にある医者の所へ出かけて行きました。そうして権助の事を話してから、 「いかがでしょう? 先生。仙人になる修業をするには、どこへ奉公するのが近路でしょう?」と、心配そうに尋ねました。 これには医者も困ったのでしょう。しばらくはぼんやり腕組みをしながら、庭の松ばかり眺めていました。が番頭の話を聞くと、直ぐに横から口を出したのは、古狐と云う渾名のある、狡猾な医者の女房です。 「それはうちへおよこしよ。うちにいれば二三年中には、きっと仙人にして見せるから。」 「左様ですか? それは善い事を伺いました。では何分願い
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
入力:j.utiyama 校正:かとうかおり
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card144.html)