死後

作者:芥川龍之介 約5分で読めます

死後を縦書きで読む(Textfall)

……僕は床へはいっても、何か本を読まないと、寝つかれない習慣を持っている。のみならずいくら本を読んでも、寝つかれないことさえ稀ではない。こう言う僕の枕もとにはいつも読書用の電燈だのアダリン錠の罎だのが並んでいる。その晩も僕はふだんのように本を二三冊蚊帳の中へ持ちこみ、枕もとの電燈を明るくした。 「何時?」  これはとうに一寝入りした、隣の床にいる妻の声だった。妻は赤児に腕枕をさせ、ま横にこちらを眺めていた。 「三時だ。」 「もう三時。あたし、まだ一時頃かと思っていた。」僕は好い加減な返事をしたきり、何ともその言葉に取り合わなかった。 「うるさい。うるさい、黙って寝ろ。」  妻は僕の口真似をしながら、小声にくすくす笑っていた。が、しばらくたったと思うと、赤子の頭に鼻を押しつけ、いつかもう静かに寝入っていた。  僕はそちらを向いたまま、説教因縁除睡鈔と言う本を読んでいた。これは和漢天竺の話を享保頃の坊さんの集めた八巻ものの随筆である。しかし面白い話は勿論、珍らしい話も滅多にない。僕は君臣、父母、夫婦と五倫部の話を読んでいるうちにそろそろ睡気を感じ出した。それから枕もとの電燈を消し、じきに眠りに落ちてしまった。――  夢の中の僕は暑苦しい町をSと一しょに歩いていた。砂利を敷いた歩道の幅はやっと一間か九尺しかなかった。それへまたどの家も同じようにカアキイ色の日除けを張り出していた。 「君が死ぬとは思わなかった。」  Sは扇を使いながら、こう僕に話しかけた。一応は気の毒に思っていても、その気もちを露骨に表わすことは嫌っているらしい話しぶりだった。 「君は長生きをしそうだったがね。」 「そうかしら?」 「僕等はみんなそう言っていたよ。ええと、僕よりも五つ下だね、」とSは指を折って見て、「三十四か? 三十四ぐらいで死んだんじゃ、」――それきり急に黙ってしまった。  僕は格別死んだことを残念に思ってはいなかった。しかし何かSの手前へも羞かしいようには感じていた。 「仕事もやりかけていたんだろう?」  Sはもう一度遠慮勝ちに言った。 「うん、長いものを少し書きかけていた。」 「細君は?」 「達者だ。子供もこの頃は病気をしない。」 「そりゃまあ何よりだね。僕なんぞもいつ死ぬかわからないが、……」  僕はちょっとSの顔を眺めた。SはやはりS自身は死なずに僕の死んだことを喜んでいる、――

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底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
入力:j.utiyama 校正:かとうかおり
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card146.html)