葬儀記
作者:芥川龍之介 約7分で読めます
離れで電話をかけて、皺くちゃになったフロックの袖を気にしながら、玄関へ来ると、誰もいない。客間をのぞいたら、奥さんが誰だか黒の紋付を着た人と話していた。が、そこと書斎との堺には、さっきまで柩の後ろに立ててあった、白い屏風が立っている。どうしたのかと思って、書斎の方へ行くと、入口の所に和辻さんや何かが二、三人かたまっていた。中にももちろん大ぜいいる。ちょうど皆が、先生の死顔に、最後の別れを惜んでいる時だったのである。 僕は、岡田君のあとについて、自分の番が来るのを待っていた。もう明るくなったガラス戸の外には、霜よけの藁を着た芭蕉が、何本も軒近くならんでいる。書斎でお通夜をしていると、いつもこの芭蕉がいちばん早く、うす暗い中からうき上がってきた。――そんなことをぼんやり考えているうちに、やがて人が減って書斎の中へはいれた。 書斎の中には、電灯がついていたのか、それともろうそくがついていたのか、それは覚えていない。が、なんでも、外光だけではなかったようである。僕は、妙に改まった心もちで、中へはいった。そうして、岡田君が礼をしたあとで、柩の前へ行った。 柩のそばには、松根さんが立っている。そうして右の手を平にして、それを臼でも挽く時のように動かしている。礼をしたら、順々に柩の後ろをまわって、出て行ってくれという合図だろう。 柩は寝棺である。のせてある台は三尺ばかりしかない。そばに立つと、眼と鼻の間に、中が見下された。中には、細くきざんだ紙に南無阿弥陀仏と書いたのが、雪のようにふりまいてある。先生の顔は、半ば頬をその紙の中にうずめながら、静かに眼をつぶっていた。ちょうど蝋ででもつくった、面型のような感じである。輪廓は、生前と少しもちがわない。が、どこかようすがちがう。脣の色が黒んでいたり、顔色が変わっていたりする以外に、どこかちがっているところがある。僕はその前で、ほとんど無感動に礼をした。「これは先生じゃない」そんな気が、強くした。(これは始めから、そうであった。現に今でも僕は誇張なしに先生が生きているような気がしてしかたがない)僕は、柩の前に一、二分立っていた。それから、松根さんの合図通り、あとの人に代わって、書斎の外へ出た。 ところが、外へ出ると、急にまた先生の顔が見たくなった。なんだかよく見て来るのを忘れたような心もちがする。そうして、それが取り返しのつか
底本:「羅生門・鼻・芋粥」角川文庫、角川書店
入力:j.utiyama 校正:かとうかおり
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card150.html)