怪夢
作者:夢野久作 約19分で読めます
工場
厳かに明るくなって行く鉄工場の霜朝である。 二三日前からコークスを焚き続けた大坩堝が、鋳物工場の薄暗がりの中で、夕日のように熟し切っている時刻である。 黄色い電燈の下で、汽鑵の圧力計指針が、二百封度を突破すべく、無言の戦慄を続けている数分間である。 真黒く煤けた工場の全体に、地下千尺の静けさが感じられる一刹那である。 ……そのシンカンとした一刹那が暗示する、測り知れない、ある不吉な予感……この工場が破裂してしまいそうな……。 私は悠々と腕を組み直した。そんな途方もない、想像の及ばない出来事に対する予感を、心の奥底で冷笑しつつ、高い天井のアカリ取り窓を仰いだ。そこから斜めに、青空はるかに黒煙を吐き出す煙突を見上げた。その斜に傾いた煙突の半面が、旭のオリーブ色をクッキリと輝かしながら、今にも頭の上に倒れかかって来るような錯覚の眩暈を感じつつ、頭を強く左右に振った。 私は、私の父親が頓死をしたために、まだ学士になったばかりの無経験のまま、この工場を受け継がせられた……そうしてタッタ今、生れて初めての実地作業を指揮すべく、引っぱり出されたのである。若い、新米の主人に対する職工たちの侮辱と、冷罵とを予期させられつつ……。
しかし私の負けじ魂は、そんな不吉な予感のすべてを、腹の底の底の方へ押し隠してしまった。誇りかな気軽い態度で、バットを横啣えにしいしい、持場持場についている職工たちの白い呼吸を見まわした。 私の眼の前には巨大なフライトホイールが、黒い虹のようにピカピカと微笑している。 その向うに消え残っている昨夜からの暗黒の中には、大小の歯車が幾個となく、無限の歯噛みをし合っている。 ピストンロッドは灰色の腕をニューと突き出したまま……。 水圧打鋲機は天井裏の暗がりを睨み上げたまま……。 スチームハムマーは片足を持ち上げたまま……。 ……すべてが超自然の巨大な馬力と、物理原則が生む確信とを百パーセントに身構えて、私の命令一下を待つべく、飽くまでも静まりかえっている。 ……シイ――イイ……という音がどこからともなく聞こえるのは、セーフチーバルブの唇を洩るスチームの音であろう……それとも私の耳の底の鳴る音か……。 私の背筋を或る力が伝わった。右手が自ら高く揚った。 職工長がうなずいて去った。
……極めて徐々に……徐々に……工場内に重
底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房
入力:柴田卓治 校正:しず
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card921.html)