空を飛ぶパラソル
作者:夢野久作 約34分で読めます
その一 空を飛ぶパラソル
水蒸気を一パイに含んだ梅雨晴れの空から、白い眩しい太陽が、パッと照り落ちて来る朝であった。 ちょうど農繁期で、地方新聞の読者がズンズン減って行くばかりでなく、新聞記事の夏枯れ季節に入りかけた時分なので、私のいる福岡時報は勿論のこと、その他の各社とも何かしら読者を惹き付ける大記事は無いか……洪水は出ないか……炭坑は爆発しないか……どこかに特別記事は転がっていないか……と鵜の目鷹の目になっていた。そんなようなタヨリナイ苛立たしい競争の圧迫を、編輯長と同じ程度に感じていた遊撃記者の私は、ツイこの頃、九大工学部に起ったチョットした事件を物にすべく、福岡市外筥崎町の出外れに在る赤煉瓦の正門を、ブラリブラリと這入りかけていたのであったが、あんまり暑いので、阿弥陀にしていた麦稈帽子を冠り直しながら、何の気もなく背後をふり帰ると、ハッとして立ち止まった。 工学部の正門前は、広い道路を隔てて、二三里の南に在る若杉山の麓まで、一面の水田になっていて、はてしもなく漲り輝く濁水の中に、田植笠が数限りなく散らばっている。その田の中の畦道を、眼の前の道路から一町ばかり向うの鉄道線路まで、パラソルを片手に捧げて、危なっかしい足取りで渡って行く一人の盛装の女がいる。 そのパラソルは一口に云えば空色であるが、よく見ると群青と、淡紅色の、ステキに派手なダンダラ模様であった。小倉縮らしいハッキリした縞柄の下から、肉付きのいい手足と、薄赤いものを透きとおらして、左手にビーズ入りのキラキラ光るバッグを提げて、白足袋に、表付きの中歯の下駄を穿いていたが、霖雨でぬかるむ青草まじりの畦道を、綱渡りをするように、ユラユラと踊りながら急いで行くと、オールバックの下から見える、白い首すじと手足とが、逆光線を反射しながら、しなやかに伸びたり縮んだりする。その都度に、華やかな洋傘の尖端が、大きい、小さい円や弧を、空に描いて行くのであった。 そこいらの田に蠢めいていた田植笠が、一つ二つ持ち上って、不思議そうにその女の姿に見惚れはじめた。……と見るうちに、左手の地蔵松原の向うから、多々羅川の鉄橋を渡って、右手の筥崎駅へ、一直線に驀進して来る下り列車の音が、轟々と近づいて来る気はいである。それにつれて女の足取りも、心持ち小刻みに急ぎ始めたように見えた……。 ……私は今一度ハッと胸を躍らした
底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房
入力:柴田卓治 校正:しず
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card1088.html)