四条畷の戦

作者:菊池寛 約14分で読めます

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建武中興の崩壊

中島商相が、足利尊氏のために、災禍を獲た。尊氏の如く朝敵となったものは、古来外にも沢山ある。朝敵とならないまでも、徳川家康以下の将軍などは、それに近いものである。殊に温厚そうに見える二代将軍秀忠の如き、朝廷に対して、悪逆を極めている。  だが、尊氏丈が、どうして百世の下、なお憎まれ者になっているか。それは、純忠無比な楠公父子を向うに廻したからである。尤も、中島商相を弾劾した菊池中将(九州の菊池神社を中心として、菊池同族会なるものあり、中将はその会長である。自分もその会員である)の先祖たる菊池氏も亦、五百年間勤王一途の忠勤をつくした家柄で、山陽をして「翠楠必ずしも黄花に勝らず」と云わしめたが、活躍の舞台が、近畿でないから、楠公父子の赫々たる事蹟には及ばない。今、四条畷の戦いを説くには、どうしても建武中興が、如何にして崩壊したかを説かねばならない。  元弘三年六月五日、後醍醐天皇は王政復古の偉業成って、めでたく京都に還幸された。楠正成、名和長年以下の凱旋諸将を従えられ、『増鏡』に依ると、其の行列は二条富小路の内裏から、東寺の門まで絡繹として続いたとある。供奉の武将達も、或は河内に、或は伯耆に、北条氏討滅の為にあらゆる苦悩を味った訳であるから、此の日の主上及び諸将の面上に漂う昂然たる喜色は、想像出来るであろう。  かくて建武中興の眼目なる天皇親政の理想は、実現されたのである。だがそれと同時に、早くも此の新政府の要人連の間に、逆境時代には見られなかった内部的対立が兆していた。つまり武家と公卿が各々、自分こそ此の大業の事実上の功労者であると、銘々勝手に考え出して来た為である。  武家にすれば、実力の伴わぬ公卿達の如何にもとり澄した態度が気に食わなかったに違いない。恐らくは、「俺たちに泣きついて来た当時を忘れたのか」と言い度いところであろう。それに一緒に仕事をしてみても、何だか調子が会わない。その平和になって、文事ばかりになると、河原の落書にまで「きつけぬ冠上のきぬ、持もならわぬ笏もちに、大裏交りは珍らしや」と愚弄されるのも癪に触る。その上、素朴な一般武士の頭には、延喜天暦の昔に還らんとする、難しい王政復古の思想など、本当に理解される訳はないのである。  唯自分達の実力を信ずる彼等は、北条氏を滅ぼしたのは、俺達の力だと確く信じ、莫大なる恩賞を期

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底本:「日本合戦譚」文春文庫、文藝春秋社
入力:大野晋、Juki 校正:土屋隆
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/card1369.html)