名娼満月

作者:夢野久作 約32分で読めます

名娼満月を縦書きで読む(Textfall)

人皇百十六代桃園天皇の御治世。徳川中興の名将軍吉宗公の後を受けた天下泰平の真盛り。九代家重公の宝暦の初めっ方。京都の島原で一と云われる松本楼に満月という花魁が居た。五歳の年に重病の両親の薬代に代えられた松本楼の子飼いの娘ながら、名前の通り満月をそのままの美くしさ。花ならば咲きも残らず散りも初めぬ十九の春という評判が、日本国中津々浦々までも伝わって、毎年三月の花の頃になると満月の道中姿を見るために洛中洛外の宿屋が、お上りさんで一パイになる。本願寺様のお会式にも負けぬという、それは大層な評判であった。  その頃、満月に三人の嫖客が附いていた。  一人は越後から京都に乗出して、嵯峨野の片ほとりに豪奢な邸宅を構え、京、大阪の美人を漁りまわしていた金丸長者と呼ばれる半老人であった。はからずもこの満月に狃染んでからというもの、曲りかけている腰を無理に引伸ばし、薄い白髪鬢を墨に染め、可笑しい程派手な衣裳好みをして、若殿原に先をかけられまいという心遣いや金づかいに糸目を附けず。日本中を真半分に割って東の方に在るものは皆、満月に買うてやりたいほどの意気組であった。  今一人は青山銀之丞という若侍であった。関白七条家の御書院番で、俗に公家侍というだけに、髪の結い振り。素袍、小袴の着こなしよう。さては又腰に提げた堆朱の印籠から青貝の鞘、茶欛、白金具という両刀の好みまで優にやさしく、水際立った眼元口元も土佐絵の中から脱け出したよう。女にしても見まほしい腮から横鬢へかけて、心持ち青々と苦味走ったところなぞ、熨斗目、麻裃を着せたなら天晴れ何万石の若殿様にも見えるであろう。俺ほどの男ぶりに満月が惚れぬ筈はない。日本一の美男と美女じゃもの。これが一所にならぬ話の筋は世間にあるまい……といったような自惚れから、柄にない無理算段をして通い初めたのが運の尽き。案の定惚れたと見せたは満月の手管らしかった。天下の色男と自任していた銀之丞が、花魁に身上げでもさせる事か。忽ちの中に金に詰まり初め、御書院番のお役目の最中は、居眠りばかりしていながらに、時分を見計らっては受持っている宝物棚の中から、音に名高い利休の茶匙、小倉の色紙を初め、仁清の香炉、欽窯の花瓶なぞ、七条家の御門の外に出た事のない御秘蔵の書画骨董の数々を盗み出して、コッソリと大阪の商人に売りこかし、満月に入れ揚げるのを当然の権利か義務のように心得て

続きを読む — 名娼満月|Textfall

底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房
入力:柴田卓治 校正:土屋隆
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/card2125.html)