鳥

作者:横光利一 約25分で読めます

鳥を縦書きで読む(Textfall)

横光利一

リカ子はときどき私の顔を盗見するように艶のある眼を上げた。私は彼女が何ぜそんな顔を今日に限ってするのか初めの間は見当がつかなかったのだが、それが分った頃にはもう私は彼女が私を愛していることを感じていた。便利なことには私はリカ子を彼女の良人から奪おうという気もなければ彼女を奪う必要もないことだ。何ぜなら私はリカ子を彼女の良人に奪われたのだからである。この不幸なことが幸いにも今頃幸福な結果になって来たということは、私にとっては依然として不幸なことになるのであろうかどうか、それは私には分らない。私はリカ子――私の妻だったリカ子をQから奪られたのはそれは事実だ。しかし、それは私が彼にリカ子を与えたのだといえばいえる。それほども私とリカ子とQとの間には単純な迷いを起させる條がある。それは世間にありふれたことだと思われるとおりの平凡な行状だが、ここに私にとっては平凡だと思えない一点がひそんでいるのだ。人は二人おればまア無事だが三人おれば無事ではなくなる心理の流れがそれが無事にいっているというのは、どこか三人の中で一人が素晴らしく賢いか誰かが馬鹿かのどちらかであろうように、三人の中でこの場合私が一番図抜けて馬鹿なことは確かなことだ。Qと私とにいたってはことごとに私の方が馬鹿な成績を上げているのだ。もとを洗えば私達二人、Qと私とは同年で同級で専攻科目さえ同じだった所へ、同じ食客としてリカ子の家の上と下とで彼女を迷わせることにかけても同様な注意を払っていたのだ。結晶学の実習でダイヤモンドの標本を学校から持って帰り、初めてリカ子に見せたのが思えばこのリカ子のわれわれ二人に迷い出した初めであった。つまり、リカ子の人生はダイヤモンドから始まったのだ。そのとき私達はQの部屋で今私が下でして来たダイヤモンドの結晶面の測定について話していた。すると、リカ子は丁度お茶を持って這入って来ていつものように話し出し、そのダイヤモンドはどこの産かと質問した。所が、私にはそのダイヤモンドの母岩との関係とか産出状態とか自然性の結晶面とかは分っていても、その少女の最も知りたい平凡なことだけは分らなかった。すると、Qは実に私も驚歎したのであるが、直ちにそれはミナスゲラスだといい切った。私にはミナスゲラスはどこの国にあるのかさえも分らないのに、リカ子――漸く女学校を出かかった彼女に、分ろう筈もないこと

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底本:定本 横光利一全集 第三巻、河出書房新社、1981(昭和56)年
入力:佐藤和人 校正:野口英司
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/card909.html)