三国志 草莽の巻

作者:吉川英治 約4時間で読めます

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巫女

「なに、無条件で和睦せよと。ばかをいい給え」  郭汜は、耳もかさない。  それのみか、不意に、兵に令を下して、楊彪について来た大臣以下宮人など、六十余人の者を一からげに縛ってしまった。 「これは乱暴だ。和議の媒介に参った朝臣方を、なにゆえあって捕え給うか」  楊彪が声を荒くしてとがめると、 「だまれっ。李司馬のほうでは、天子をさえ捕えて質としているではないか。それをもって、彼は強味としているゆえ、此方もまた、群臣を質として召捕っておくのだ」  傲然、郭汜は云い放った。 「おお、なんたることぞ! 国府の二柱たる両将軍が、一方は天子を脅かして質となし、一方は群臣を質としてうそぶく。浅ましや、人間の世もこうなるものか」 「おのれ、まだ囈言をほざくかっ」  剣を抜いて、あわや楊彪を斬り捨てようとしたとき、中郎将楊密が、あわてて郭汜の手を抑えた。楊密の諫めで、郭汜は剣を納めたけれども縛りあげた群臣はゆるさなかった。ただ楊彪と朱雋の二人だけ、ほうりだされるように陣外へ追い返された。  朱雋は、もはや老年だけに、きょうの使いには、ひどく精神的な打撃をうけた。 「ああ。……ああ……」  と、何度も空を仰いで、力なく歩いていたが、楊彪をかえりみて、 「お互いに、社稷の臣として、君を扶け奉ることもできず、世を救うこともできず、なんの生き甲斐がある」と歎いた。  果ては、楊彪と抱きあって、路傍に泣きたおれ、朱雋は一時昏絶するほど悲しんだ。  そのせいか、老人は、家に帰るとまもなく、血を吐いて死んでしまった。楊彪が知らせを受けて馳けつけてみると、朱雋老人の額は砕けていた。柱へ自分の頭をぶっつけて憤死したのである。  朱雋でなくとも、世の有様を眺めては、憤死したいものはたくさんあったろう。――それから五十余日というもの、明けても暮れても、李傕、郭汜の両軍は、毎日、巷へ兵を出して戦っていた。  戦いが仕事のように。戦いが生活のように。戦いが楽しみのように。意味なく、大義なく、涙なく、彼らは戦っていた。  双方の死骸は、街路に横たわり、溝をのぞけば溝も腐臭。木陰にはいれば木陰にも腐臭。――そこに淋しき草の花は咲き、虻がうなり、馬蠅が飛んでいた。  馬蠅の世界も、彼らの世界も、なんの変りもなかった。――むしろ馬蠅の世界には、緑陰の涼風があり、豆の花が咲いていた。 「死にたい。しかし死

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底本:「三国志(二)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
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