正坊とクロ

作者:新美南吉 約8分で読めます

正坊とクロを縦書きで読む(Textfall)

一

村むらを興行して歩くサーカス団がありました。十人そこそこの軽業師と、年をとった黒くまと馬二とうだけの小さな団です。馬は舞台に出るほかに、つぎの土地へうつっていくとき、赤いラシャの毛布などをきて、荷車をひくやくめをもしていました。  ある村へつきました。座員たちは、みんなで手わけして、たばこ屋の板かべや、お湯屋のかべに、赤や黄色ですった、きれいなビラをはって歩きました。村のおとなも子どもも、つよいインキのにおいのするそのビラをとりまいて、おまつりのようによろこびさわぎました。  テントばりの小屋がかかってから、三日めのお昼すぎのことでした。見物席から、わあっという歓声といっしょに、ぱちぱちと拍手の音がひびいてきました。すると、ダンスをおわったお千代さんが、うすももいろのスカートをひらひらさせて、舞台うらへひきさがってきました。つぎは、くまのクロが出る番になっていました。くまつかいの五郎が、ようかん色になったビロードの上着をつけ、長ぐつをはいて、シュッシュッとむちをならしながら、おりのそばへいきました。 「さあ、クロ公、出番だ。しっかりたのむよ」 と、わらいながらとびらをあけましたが、どうしたのか、クロはいつものように立ちあがってくるようすが見えません。おやと思って、五郎がこごんでみますと、クロはからだじゅうあせだくになって、目をつむり、歯をくいしばって、ふといいきをついているのです。 「たいへんだ、団長さん。クロがはらいたをおこしたらしいです」  団長もほかの座員も、ドカドカとあつまってきました。五郎は団長とふたりがかりで、竹の皮でくるんだ、黒い丸薬をのませようとしましたが、クロはくいしばった口からフウフウあわをふきふき、首をふりうごかして、どうしても口をひらきません。しばらくして、ピリピリッとおなかのあたりが波をうったと思いますと、クロは四つんばいになって、おりの中をこまのようにくるいまわりました。それから、わらのとこにドタリとたおれて、ふうッと大きくいきをふいて、目をショボショボさせています。  見物席のほうからは、つぎの出しものをさいそくする拍手の音が、パチパチひびいてきます。そこでとうとう、道化役の佐吉さんが、クロにかわって、舞台に出ることにしました。そのとき、だれかが、 「正坊がいたら、薬をのむがなあ」 と、ためいきをつくようにいいました。団長は、

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底本:「牛をつないだ椿の木」角川文庫、角川書店
入力:もりみつじゅんじ 校正:渥美浩子
出典:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/card636.html)